インド旅行
2005年08月10日〜15日

2005年08月10日、朝4時起床し車で成田に向かう。今回も成田の駐車場に車を預け空港に向かう。
急遽、夏の旅行にインドと決めたが、VISAが必要でなおかつパスポートの有効残が6ヶ月以上ないと駄目なので、急遽パスポートを取り直し、旅行社に送り申請して貰った。そのため手元にパスポートは無く、団体チェックインカウンターでの受け取りとなった。
第2ターミナル前の検問は、免許証を出したが、何も言われることは無かった。
団体チックインカウンターで、航空券とパスポートを受け取り、9時30分にインド航空のカウンターに並んだ。
無事チェックが済み、早速出国手続を済ませて、免税店で煙草を購入し、時間が有るので朝食を食べる。
1時間前になり、出発ゲートに行くと、インド航空は手荷物検査をしている。無事に通過して座ると、バンコックに行くというオーストラリア人に話しかけられた。日本に暫く滞在していて、今度はタイに行くとのことだった。
ふと後ろを振り返ると、仕事で世話になった人が居る。話しかけるとタイに行き、ラオス等を回って来るとの事だった。
暫くして飛行機に乗り込む。今回はジャンプシートの前の席が貰えて、足を伸ばすことが出来た。
水曜日発はバンコックバウンドで、その為タイに行く人が乗り込んでいる。出発して暫くすると機内はカレーの匂いにつつまれた。
チョイスはベジタリアンかノンベジタリアンだった。私はチキンカレーを選んで食べた。
数年ぶりのバンコックだが、トランジットルームへの移動は無く横のドアが開き、食料等の搬出入で1時間程で交代した乗務員とともに、いよいよデリーに向けて出発した。
夕方が近づき2度目の食事が出てて現地時間19時40分、遂にデリー、ガンジー国際空港に到着した。
入国審査を済ませ、荷物のピックアップ場へ、後方に有る銀行で20ドルを両替する。ドルからの両替は書類も無し。
出てきた荷物を持ち、ついにインドへの第一歩を踏み出した。
今回はホテル、食事、ガイド付きのツアーに申し込んで居たので、自分の名前を出している人間を捜す。
するとガイドが居て、もう一人日本人が待って居た。
話をすると、同じ旅行会社にやはり一人で申し込んだとの事。こうして2人でその後は移動する事になる。
駐車場には出て、車に乗り込みホテルに向かう。 周りは暗く、とても大都会とは思えなかった。
何処を通ったか分からないが、とにかくホテルに到着しチックイン
明日は7時30分出発との事で、6時30分モーニングコール、7時朝食、7時30分出発を約束しガイドとドライバーは帰って行った。
一緒に廻る日本人は片桐さんと言い、東京から来ていた。
地下のような所に降り、隣り合わせの部屋で明日を約束して部屋に入る。とにかく疲れたので風呂に入り直ぐに眠りについた。
08月11日朝モーニングコール前に目覚める、日本との時差は3時間30分。中途半端な時差だ。
食事はルームサービスで部屋に持ってきてくれた。
朝食後、ホテルの外に出てみた。まだあまり動きは無いが、直ぐ側に売店が有り、何とか水を買うことが出来た。
チェックアウトを済ませ、片桐さんとガイド達を待つが、時間に遅れたやってきた。
本日はデリーからアグラ迄の移動、距離は200数十qとの事。とにかく早朝のデリーを出発した。
道は思ったより綺麗だが、所々信号が壊れていたり、牛が横切ったり、自転車、人、リキ車が入り乱れて走っている。
車線は有るが、何列にも成って走行している。とにかくクラクションをよく鳴らしている。
デリーを出て暫くすると突然休憩しましょうと言われる。車内で煙草が吸えないので喜んで同意する。
道ばたの小屋の様な所に止まると、そこでドライバーがスペアータイヤの修理を頼んでいる。
なんとそこは道ばた修理屋さんだった。
修理が終わり再出発。暫く走ると今度は本当に休憩に成る。観光客用のレストラン件お土産屋に入り、初めてのチャイを飲む。
30分程で移動再開。道の右前方に白い建物が見えてきた。此処は新しいイスラム教寺院だった。
此処で写真を撮り、直ぐに移動した。
お昼を越えた頃、今回の目的地アーグラー市内に入った。最初に本日の昼食を摂るため市内のレストランに入る。ここで最初カレー三昧が始まった。
昼食後、隣に有る宝石屋を覗きに行く、宝石屋の奥にはいると、そこには楽器が置いて有る。
車中ガイドにシタールかタブラが欲しいと言っていたのを実行してくれたようだ。
演奏を聴き値段を聞いたところで退散することにした。
そしていよいよアーグラーの最大の見所、タージマハルに向かう。
タージマハル内は懐中電灯ライター等の持ち込みが禁止と言うことで、車に残して降りた。
入場料は外国観光客は250ルピーと500ルピー(インド考古学局)を払う。これで市内の5つの場所が見られる。(但し入場料250ルピーはその都度払う)
昨日両替したルピーが少額なので、ドルで払おうとすると、お釣りが無いからルピーで払えと言われる。
仕方なく片桐さんから借りることにした。
門から入り暫く道が続くが、此処はリキ車で入り口まで向かう。いよいよ赤い門を潜り、金属探知機の検査を受けて中に入る。
暫く歩き、左に折れると又大きな門が有る。此処を潜るとそこには白いタージマハルが有った。
長いドライブと暑さで、私は今ひとつ感動が無い…。しかし、赤い石で出来た建物が多い中、タージマハルの白さは確かに美しい物だった。
水辺を歩き、いよいよ階段を上がり本体に入る。此処は大理石保護の為、履き物は脱いで歩かなければ成らない。赤石の部分は暖められて凄く足が熱い。
大理石の部分はそれ程では無く、じっくりと眺めることが出来た。
タージマハルにはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの后、アルジュマンド・バースー・べーガムが葬られて居る。の地下に埋葬されているが、現在そこには入れないので、1階部分にコピーが置いてある。
中は撮影禁止でグルリと廟を廻り外に出る。
白い廟の左右にはモスクが有り、廟の裏にはヤムナー河が流れている。
真偽は定かではないそうだが、皇帝は河の反対岸に自分の黒い廟を作る予定だったらしい。
皇帝は息子に幽閉され后の眠る廟を眺めて死後、后の隣に埋葬されたそうだ。
見学を終了し、元の道を戻るとき、今度は馬車で入り口まで戻った。
車に乗り込み、今度はアーグラー城を見に行く。
とても大きな城でやはり赤石で出来ている。門を潜り坂道を上がって行くと、広い敷地に大きな建物が幾つも建っていた
とにかく中を見て回り、川岸出ると、向こうに先程居たタージマハルが見える。
この中に息子に幽閉された皇帝が居た囚われの塔も有る。果たしてどんな気持ちで見ていたのだろうか。
の奥には大きなモスクが有るが、入り口まで行って見たが入る事は出来なかった。
見学を終えて、この日はこれで終了。
お土産屋に向かう途中ガイドにキャッシュディスペンサーが無いか聞くが、今ひとつ答えがはっきりしない。お土産屋でも何も買わず、ホテルに向かうことに成る。
街はそれ程大きくない感じだが、車はどんどん街から離れて行く。廻りに何も無いところにホテルは有った。
ドライバーは風邪を引いたのか、調子が悪いと言うので、自分の持っていた風邪薬と栄養剤を分けてあげた。
チェックイン後、夕飯はホテルで食べるとの事で、8時に約束して部屋に入った。
取り敢えず汗を流す為に風呂を入れて一休みした。片桐さんが迎えに来て、二人でレストランに向かった。
レストランは最上階に有り、席について廻りを見るが、夜の為何も見えない。タージマハルが見えるはずだが外は真っ暗だった。
夕飯はカレーだった。お昼と同じく、豆のカレーと鶏肉入りカレー、野菜カレー。チャパティとご飯が付いてくる。片桐さんと話しながら美味しく食べることが出来た。
廻りの人も居なくなり、明日は6時30分出発なので部屋に戻り休む事にした。
08月12日朝5時半モーニングコールで起きる、6時に片桐さんを誘い階上のレストランに行くと、窓から遠くにタージマハルが見えて居た。
朝食後チックアウトしてホテルを出る時、車がバックして道に出る寸前、突然大きなバッチという音がして火花が空から降ってきた。
何事かの見上げると、ホテル前の変電所?が漏電したようだった。
今日は250キロ先のジャイプール迄行くので、アーグラーの街で水を買うことにした。
に入る所にCD機が有った。片桐さんに水を頼み、私はお金を降ろしに行った。何とそこは昨日のお土産屋の斜め前だった。
ガイドはCD機がATMだと理解したようだった。水も購入し出発した。
車の中で片桐さんに借りたお金を返却する事が出来た。
アーグラーを出て、1時間程で世界遺産ファテプールシクリに到着した。
ここはアクバル帝の首都として建設されたが、水に恵まれず14年で放棄された場所だそうだ。
此処もとにかく大きな場所で、朝早い時間のため、人もそれ程居なかった
赤石で出来た都は、とにかく静かな中に佇んで居た。
見学終了後車に乗り、出発するとガイドが果物食べますか?と聞いてきたので良いですね!!と答えたがそのまま車は走り続けて行った。
よく考えると、否定と聞き違えていたようだ。今回のガイドは日本語を話すが、それ程上手と言うわけでは無いようだ。
何か質問しても惚けられることが良くあった。途中からは鼻歌で誤魔化された。
ジャイプールへの道は昨日の道と違い、大分舗装が傷んで居る。その為昨日に比べると、大分ペースが遅くなっている。
途中ドライバーが車を止めて、小指を立てて見せて降りていく。
何だか意味が分からず、煙草タイムで私も降りて小指を立てる意味を納得した。
車は遅い車が居るとホーンを鳴らして抜かして行く。よく見るとトラックにはこんな字が書いてあった。
途中ひっくり返って居るバスも有ったが、事故直後なのか警察も居ず、乗客らしい人達が道端に立って居た。
今日も観光客相手のレストランでチャイを飲んで休憩した。
お昼過ぎ、車は遂にラージャスタンの首都ジャイプールに到着した。ジャイプールに入る坂道に車が止まっていて、ドライバーが車を止めて降りて話しを始めた。どうも同業者の知り合いだったようだ。
ジャイプールはとても大きな街で人も沢山、自転車、とにかく狭い道を凄い勢いで進んでいく。
そして先ずは昼食のレストランに到着した。今日もカレー、今回はタンドリーチキンも付いていた。
昼食後丘を一つ越えた場所にあるアンベール城に向かった。
車を降りて象のタクシー乗り場から、象に乗り山頂に有る城を目指す。
ゆっくりと急な坂を象は登って行き城に入った。象乗り場で記念撮影。直ぐにチップを請求された。
此処も大変大きな場所で、綺麗な建物だった。には宝石が嵌め込まれていたらしいが、現在は全て外して有る。
とにかくゆっくりと見て回った。途中雨が降り出すが、直ぐに止んでしまった。
見学が終わり、裏の駐車場で車を待つが、なかなか来ない。
ガイドが必死に探し回るが、全然現れないでやっと携帯が通じたらしく、城に戻り、そこから石段を下りて下まで下った。
一般の見学者は今の道を上り降りしているようだ。
ドライバーとガイドがちょっと険悪な雰囲気だったが、それでも直ぐに出発した。
山を下り湖?の真ん中に有るを撮影して、市内のシティパレスに行く。
此処は現在もマハラジャが生活する場所の前に有る。流石にマハラジャの住居に入ることは出来ない。
服飾博物館や武器博物館を見学後、隣にあるジャンタル・マンタル(天文台)を見に行くが、アンベール城での待ち時間が長かった為、もう閉館していた。
外から眺めるだけで中には入れなかった。
結局、此処で時間切れとなり残りは明日見る事になる。
今回は大きな街なので、ホテルから外出できるかと期待していたが、車は又町はずれを目指していく。
商店が有るところを抜け、到着したホテルの廻りは又少し街の喧噪からは離れていた。
結局チェックインして部屋に行き、夕食はホテルのレストラン。
風呂に入り、片桐さんと降りていく。席に着くと今日はステージがありオルガンの様な物とタブラの演奏が有った。
ぼちぼち人も入り演奏が始まる、一曲終わると拍手をしていると、廻りはあまり反応が無い。
おかげで演奏が終わる度にこちらを見て、毎回私達が拍手していた。
しかし、今晩はいくら待っても我々の食事が来ない。
ウェイターがやっと気付いて、メニューを持って来て選べと言う。食事付きの旅行なので??だったが、何とか注文して、やっと夕飯に有り付いた。
食べ終わる頃にはレストランは私達だけになって居た。最後に演奏者に拍手をして部屋に戻った。
8月13日今日がインド最後の日。今日は7時起床で7時30分より朝食。8時にはホテルを出発した。
昨日見られなかった風の宮殿に向かう。
やはり未だ早い時間で人は少ないが、下車して道を渡り写真を撮って居ると、子供を抱いた女性が物乞いに来た。食べるものが無い、幾らかくれのジェスチャー?
すると横からサンダル屋さんが来て、是非見ていってくれと言われ、入って見る。
駱駝の皮だと言うサンダルを履いてみると、結構良い感じだった。ついでに靴も一緒で安くすると言うが、ルピーでと言ったら結構高い値段だった。幾らかまけさせて結局購入して仕舞った。
外に出ると先程の物乞い女性の子供の手にはパンの様な物が握られていた。
それでもやはり幾らか欲しいとのアピールは続いていた。
私達は車に戻り、一路デリーを目指して出発した。
デリーまでの道は、今回の中では一番整備されて居て快適なドライブと成った。
やはり途中ドライブインのような所でチャイを飲んで休憩した。
徐々にデリーに近づくにつれて、今までは車はトラックか営業車しか走って居なかったのが、一般の車が増えてきた。
デリー空港の側まで来ると、高層マンションが建ち並んでいた。
渋滞が始まり、ドライバーは高層住宅の方にハンドルを切って迂回を始めた。
高層住宅の前は未舗装で道路は舗装されているが、かなりちぐはぐな感じだった。
そうして、私達はクトゥブ・ミナールに到着した。
此処はニューデリーの南郊外15キロの所に有り、デリー観光では外せない所らしい。
もともとは100m有ったミナレットは飛行機事故で現在は72.5mに成って居るらしい。此処の中庭には4世紀クブタ町時代に立てられた、高さ7m程の鉄柱が有る。純度は100%近くで、現在も錆びていない。
昼近くの暑さの中を見て回り、見学は終了し、最後の昼食を食べるために市内のレストランに向かう。
流石にデリーは車で渋滞している。
レストランに到着してインド最後食事をする。
食べ終わるとお金が少ないので、ATMに行って貰う。
渋滞続きで車はオーバーヒート気味だが、何とか止まらず走り続けて居る。
今度はタージマハルのモデルとされるフマューン廟に下車して中を見る。本当に小型版タージマハルだった。
その後ガンジー火葬の地ラージガードに行くが、何と休園日で入ることが出来ず、車は直ぐに市内に戻って行った。
市内に入り、小さなお茶屋さんに連れて行かれる。此処にいた営業のインド人はガイドの数倍日本語が上手かった。
とにかくお土産の紅茶を買い、車に乗り込むと最後の見学地はインド門だった。
官庁街のロータリーの中心に第一次世界大戦の戦死者慰霊碑のインド門は建っていた。此処は本当に整備された場所だった。
写真を撮り、車は最後のお土産屋に乗り付けた。此処で私は遂にタブラを買う事にした。
楽器ケースに入れ、車に積み込み、遂に車は飛行場に到着した。
出発の3時間以上前、空港には専門の業者が居て、チェックインの全てを取り仕切って居た。
ボーディングパスを受け取り、外で待つガイドに見せて別れた。
出国審査を済ませ、中に入ると免税店が有るが、これが一国の首都の空港なのに大して店が無く、品揃えも少ない。
時間が有るので店を冷やかしていると、店員に右腕を指され、インド人と同じ色だ!!何日滞在したのか?と聞かれた。
これは日本での運転での仕事焼け、滞在は3日しかしていないと答えた。
ロビーには喫煙所が無く、階段を上がったカフェは煙草が吸えるようなので上がって行く。
カウンターに座り紅茶を頼むと、何とドル払いだと5ドルもする。価格表のルピーは60ルピー、あまりにも差が大きくて吃驚だった。とにかく煙草が吸いたくて支払った。
白人の男の子達も、ビールが高らしく暫く不平を言って居たが払って居た。

何本か煙草を吸い、カフェの中に有るトイレに行き、そのまま出て階段を降り出すと、突然声をかけられた。
従業員がお金を払えと言ってきた。私は支払い済みだと言ったが納得せず、店に戻り支払った若い従業員を指し、彼に払ったと説明すると、若い従業員も貰って居ると返事してくれた。
呼び止めた従業員はソリーだけだった。
時間に成ったのでゲートに行くと、凄い行列が出来ている。かなり保安チェックが厳しいようだ。
中には入り口前で返される日本人が居る。
遅々として進まぬうちに、今度は検査員が交代で居なくなる。
準備が出来て又列が進み出す。入り口でパスポート、ボーディングパスのチックと手荷物にハンドキャリーの札が有るかの確認をされる。
先程、返されたのはハンドキャリーの札が付いていない人だったようだ。
本にはライターは駄目だと書いてあったが、難なく通過して仕舞った。
先に行っていた片桐さんを探すが居ないので、適当に席に座って居ると、片桐さんが現れた。
何かバックを全て開けさせられたそうだ。
二人で話しながら待っていると、搭乗開始時間になってもゲートが開かない。
結局何の説明も無く1時間遅れで搭乗して、飛行機は出発した。
夕飯は又カレー、これが凄く辛かった。
結局1時間遅れで成田に到着し、出国審査の後手荷物だけの片桐さんとはお別れした。
今回の旅行はとにかく忙しく、朝早く起きて午前中は移動、観光もそこそこでホテルへの繰り返しだった。
観光もヒンドゥーの国に行きながら、イスラム時代の遺跡しか見ないので、今のインドが良く分からなかった。
只、初めて行くのであれば、これが一番有効な手段かも知れない。
観光のみなので、実際のお金の価値は遂に理解できなかった。
今後、もし又行くことが有れば、もう少し余裕を持って廻って見たい。
今回は片桐さんとの出会いが有り、その点では楽しい移動、観光が出来たと思います。本当に有り難う御座いました。
最後に一言…片桐さんと帰国後電話で話すと、片桐さんは3日程下痢が続いたそうです。
私は1週間以上駄目でした。
これだけは流石インド!!かな。でも原因が分からない…
さて、次は何処に行くことが出来るか?新しい出会いは有るのか。

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