ポーランド・フランスの旅(後編)

2007年08月07日〜16日


 2007年08月13日
 朝7時に19区の知人鷹さんの家で目覚める。
 コーヒーを飲ませて貰い、本日の予定を話す。9時にモンマルトルへ鷹さんの知人のNさんを迎えに行き、ボルドー近くの高橋さんの家を目指すとの事。距離にして約500キロ位らしい。
 鷹さんの車に乗り、モンマルトルへ、サクレクールが見られやっとパリの実感が有った。
 Nさんを乗せ外周道路からA6、A81を走る。途中トイレ休憩で鷹さんから私に運転を代わる。
 A10ボルドー方面に向かい、オルレアンから一般道に出た。
 お昼近くなり、BELLACで昼食を摂ることにする。街の十字路の所にレストランが有り、旅行者がメニューを見ている。
 我々も確認し中に入ると小さい店の中は沢山のお客さんが居た。私達はコースを頼み待っていた。
 この地方は牛肉が有名と言うことで私と鷹さんはそれを選ぶ。
 出てきた肉は大きいが少し固めだった。隣のテーブルでは単品で注文したらしい肉が出ていたが、それは凄く軟らかそうで美味しそうだった。
 やはり、ランチコースの肉は部位が違うようだ。
 食べ終わった私達は車に戻り、次の目的地に向かった。
 今回、私がアウシュビッツを見てきたと言う事で、鷹さんがチョイスしてくれた場所だ。
 1時間程で目的地ヴィエンヌ県オラドゥール・シュル・グラヌに到着、ここは1994年06月10日、ドイツの占領下であったこの村で、ナチス武装親衛隊による大規模な虐殺が行われた。当時村に居た村民のほぼ全員が殺され、村は1日にして廃墟と化した。
 戦争の悲惨さを残す場所として当時のまま保存されている。ここでは日本人の姿は誰も見ない。
 入り口から入り、地下には資料館が、そこから道の下を通り村へ出る
 沢山のフランス人が訪れて居るが、村は静かな佇まいで廃墟となって居た。かなり大きな村でまるで映画のセットの様にも感じる。
 それぞれの家に此処が何で有ったかのプレートが貼って有る。村の下の方には教会が有り、ここに人々が集められ虐殺されたそうだ。説明の人が居て、歴史を物語ってくれる。多くのフランス人が中には居た。
 写真では分からないが、此処も屋根は無い。
 そこから上に戻っていくと駅の跡が有った。そこから戻る途中、人が普通に生活して居た痕跡が有った。
 見学を終わり、鷹さんに感想を聞かれたが、圧倒されたと答えるのが精一杯だった。
 鷹さんの知人が小さい頃此処に住み、たまたま友人の所に行って居て助かった人が居るとの事だった。
 見学を終わり、高橋さんの家に向かう事に成る、途中お城を見に行く。(そこにはこんな物が
 再度出発し高橋さんの家の近くに有るブラントンに向かう、街に入るとバカンスシーズンで人が沢山出ていて車を止めるところが無い。結局通り過ぎてムシダン近くの高橋さん宅に直行した。
 途中ツール・ド・フランスでよく見る景色が有った。何とか高橋宅に18時に到着した。
 高橋さん達が待っていてくれたが、その大きさに吃驚して仕舞った。(庭
 私達が到着した時、別のお客も庭を散歩していた。
 家の中を見せて貰うと、これが又凄い。()部屋は4階迄有り、まだこれから手を加えて行くそうだ。
 暮れていく中皆さんはアペリティフを飲んでいる。
 そして高橋さんが用意してくれた夕食が庭で始まった。先ずはフォアグラ、そして鴨の胸肉デザート
 夕食は陽が暮れた9時過ぎまで続いた。
 その後室内に入り雑談をしながら0時近くなりそれぞれ用意された部屋に入って寝た。
 廻りが誰もシャワーもお風呂も浴びないので、仕方なく私も寝る事にした。

2007年08月14日
 私はやはり7時過ぎに目が覚めた。仕方ないので隣町のムシダンを見に行く。
 30分程で戻ると皆が起きて朝食の用意が出来て居た。
 シャワー室を見ると入った跡が有るので、私もシャワーを浴びサッパリとした。
 フランシスさんがパンを買うと言うのでNさんと私が一緒に行くことにした。パン屋ではNさんもパリに帰って食べるパンも買った。フランシスさんもパンを買った。
 その後、会社へのお土産が買いたいとスーパに連れて行って貰う、この辺はクルミの御菓子が有名との事で見ると棚に有る。それを私は会社の人間10人分を持つと棚から無くなっていた。
 レジに持って行くと、レジのお姉さんがとても喜んでくれた。やはりこれだけ纏めて買う人間は珍しいようだ。
 家に戻り、高橋さん達の案内で近くの村へ出掛けた。
 そこはフランスの最も美しい村に登録されたAubeterre-sur-Dronneが有り、その麓には岩を掘り抜いた僧院?のような物が有る。街を見て高橋家に戻った。
 戻る途中にNさんがイタリアのミッレミリアの取材に行った時の話しをしてくれた。カメラマンが面白い人だったそうだ。
 高橋さんの家に戻り、昼食を食べて貸して貰った帽子を被って居ると、初めて帽子が似合うと言われた。
 フランシスさんはやくざのようだと笑って居た。最終的にはどうもメキシコに行けば間違いなく現地人だろうで落ち着いた。
 14時過ぎに高橋さん達と分かれ、パリへの帰路についた。89号線でA20を目指し、A20からはリモージュを通過後もう一つを見に寄り。その後はパリに直行した。
 パリ近辺からは強い雨が降っていたが、何とか21時前に鷹さん宅に到着した。
 鷹さんはNさんを自宅に送り、10時過ぎに帰宅。フランス最後の夜は私がお土産に持参したタラコスパゲッティを食べた。
 そしてお風呂に入りフランス最後の夜を過ごした。

2007年08月15日
 朝7時に起床、借りていたシーツ等をたたみ、洗濯機に入れて貰う。
 朝食を食べて、荷物を下ろし空港に送って貰う。9時30分前にCDG到着。チェックインし鷹さんにお礼を言い分かれる。直ぐに出国審査を受けて免税店へ、今回の旅行は会社以外何もお土産を買って居なかったので慌てて廻るが時間切れ。
 機内に入り予定時刻の11時45分に飛行機はフランスを離れた。

2007年08月16日
 朝7時前に成田に到着。入国審査を済ませ税関で7日の待合室にサングラスが無かったか確認。
 結局無いと言うことで、税関を通ってから警察に紛失届けを提出した。
 何だかんだとウロウロして家には13時頃に到着。こうして今回の旅行も終了した。

 今回の旅行で思った事、帰国後最近の新聞に中国で日本軍が虐殺した村が保存を行っているとの記事が出ていた。
 被害を受けた国は何時までも忘れることは無いのだろう、そして、忘れないように保存、語り継ぎを行っている。
 日本も原爆の被害を残し語り継ごうとしている。本当に経験者が生きている間に聞いておかなければ成らない事も多いのだと思う。
 外に出てみて初めて感じる事は今までも多く有った。
 外から日本を考えることは、とても大事な事だと思う。
 パリは今回殆ど見なかったが、今年から始まった貸し自転車が大変評判が良いそうだ。
 確かに自転車で廻るにはちょうど良い大きさの街だ。東京では難しいかもしれないが…
 とにかく又何処かを見に行って見たいと思う。

 

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