シリア・アラブ共和国への旅(後編)   

2008年08月06日〜12日       

2008年08月09日(土)

朝7時、パルミラノホテルで目覚める。今日の迎えは8時半。
着替えて最上階のダイニングへ行き朝食を食べる。
8時15分にはチェックアウトして迎えを待つ。外を見ると車は有るが人が居ない。
20分程するとエレベーターから二人が降りてきた。

荷物を積み込み出発、今日はまず西に向かって走る。
砂漠地帯を1時間程走ると景色が変わって来た。
瓦礫の砂漠だったのが両側に糸杉やその他緑色が増える。
廻りが農地に変わった所で一休み、そこで一服するとガイドが林の中に入って行った。
付いて行ってみるとそこはアーモンドの林だった。
ガイドが実を取って食べさせてくれた。初めて食べる乾燥していないアーモンド。
ちょっと気分はドングリを食べている感じだった。

休憩を終了し北上して行くと、イラクからの石油パイプラインの中継基地が有った。

ホムスと言う街から地中海に向けて走る。
街道沿いにはやはり大きな石油精製工場が煙突から火を噴いているのが見えた。
その先でガイドが左を指して解説を始めた。
何と、その向こう側がカデシュだと言うのだ。
エジプトのアブシンベル大神殿に書かれていたヒッタイトとの戦場が間近な事に大感激した。

暫くすると右側に山が見えてきた。その頂上が目的地クラック・デ・シュバリエ。
左折して山に向かう時、右に行けば数百メートルでレバンノ国境だ。

険しい山に張り付くように民家が建って居る。急坂の家の玄関にはまで。

そして遂にクラック・デ・シュバリエに到着した。
ここは十字軍が建造した城で地中海と内陸部を結ぶ保存状態の良い城だ。

外壁の入場門から入り、グルグルと回り込み内堀跡を通り本城へ。
中は中世の城の雰囲気が十分残って居る。
十字軍の後はサラディーンやオスマントルコも使用したのでいろいろな様式も混ざり合って居た。
途中、お土産を売る露天も有り、そこでは民族楽器も売っていた。

城の中程は現在はステージに成って居て、何かイベントの準備がしてあった。
何処からかドラムと歌声が聞こえてきたが、暫く進むと若い娘さんがドラムを叩きながら歌っているのに会った。
仲間も一緒に踊りながら歩いて居た。

最上階に上がり入口を見下ろし、カデシュ方面を見る。反対側は地中海方面
強風が吹いていたが、凄く感動できる景色だった。

その後お昼を城横のレストランで食べる。疲れた感じの3人オヤジ

1時間ほどの休憩の後、次の目的地に出発した。
本来は翌日見る予定だった場所に行く途中なので見る事になった。
ホムスに戻り北に向かう。
暫く走ると大水車で有名なハマに到着した。
この町は紀元前10世紀頃より交易で栄えた街。
町中にオロンテス川が流れ、そこに大水車がそびえ立って居た
木製の水車が汲み上げた水は水道橋を流れて行く。
今は公園に成って居て、水車のそばまで見に行くことが出来る。

18世紀始めにハマを支配していたアサド・バシャ・アル・アゼムの宮殿辺りはとても風情が有る通りだ。
小路の途中にまた水車が有る、そこに入って行くと子供達が水車に登り水遊びをしていた。
表通りに戻り、先程の水車の所を見ると子供達が手を振って居た。

車に乗り込み、本日の最終目的地アレッポに向かう。
シリア第二の都市アレッポはユーフラテス川まで50キロ程、北には30キロ程でトルコ国境の町だ。
アレッポに向かう道の両側はビスタチオの畑が広がって居る。
また、ガイドが車を止め畑に入り生のビスタチオを食べさせてくれた。
日本の果物街道などと同じで道端には畑の持ち主が店を開いている
ガイドがビスタチオを買い、暫く走るとドライバーがハンドルのスイッチをいじりだした。
見ているとクルーズコントロールの不調の様だ。
一旦停車して調べるが、何とも成らずに再出発。

夕方4時頃に遂にアレッポに到着。
アレッポ城の横を通り車は止まる。ホテルまでは道が狭いため、そこからガイドと歩いて向かう
そしてホテルに到着すると、明日は9時に迎えに来るとガイドは戻って行った。
チェックインを済ませ荷物を置き、スークに向かう。
しかし40分程で戻り、夕食を食べる事にする。
今日の夕食はホテルの最上階のテラス。アレッポ城を見ながら食事始めた
日が暮れる頃あちこちのモスクからアザーンが流れ出した。
すっかり陽が落ちて夕食終了、9時前なので再度街に行く事にする。

流石にスークも店仕舞いの準備をしているが、やはり人は沢山歩いて居る。
1時間ほど歩き回り、ホテルに戻ろうと坂を上って行くと子供に声をかけられる。
自分達の写真を撮ってくれというのだ。

暫く一緒に歩いてホテルに戻る
風呂に入り長い一日が終了した。

08月10日(日)

朝7時起床、先ずは朝食を食べに行く、本日は迎え時間が遅いので暫くホテルの中庭でのんびりとする。
9時前にチェックアウトするとフロントの男性にレクサスはどうだ?と聞かれる。
正直、そんな高級車は乗った事はないので、良いんじゃないの!?と答えると。
おまえは何に乗って居るのか?と聞かれスバルと答えると0−100は何秒だと聞かれた。
計ったことも無いし、分からないと答えると残念そうにしていた。

時間になりガイドが迎えに来た。荷物を転がし車に運び荷物を載せると、そこからは又徒歩で観光に出発。

アレッポ城を回り込み入口に向かう。
深さ22mの堀に囲まれた堂々とした城。紀元前10世紀にはネオ・ヒッタイト人の神殿として始まった場所。
12世紀には十字軍対策、13世紀にはモンゴル、1400年にはティムール朝の侵略などに耐え城は現在の姿になったそうだ。
長い歴史を感じさせる城内はとても綺麗な街としての機能を持つ場所だった。
今も修復、発掘もおこなわれて居るようだ。


頂上からは自分の泊まったホテルも見えた。ここでコーヒーを飲んで一休みした。
ここでガイドと話をしていると、彼が私より4つ上だということが分かった。
子供が二人いて、一人は働いていて、娘さんは大学生だそうだ。
シリアでは大学は国立なのでお金はそんなに掛からないと話してくれた。
その上、彼は昨日は長崎投下の日だと話してくれた。
遠いシリアの人が日本への原爆投下の日を知って居る事に驚いた。
アメリカ人の方が知らない気がする
休憩を終えて
下り出すと王族専用広場ハマムや後宮などが有る。
城門の上には各国から来た人間と会う部屋が有った。

そこからスークに移動、ここで有名なアレッポのオリーブオイル石鹸などを買う。つい孫の衣装まで購入して仕舞った。

その後ジャミア・ザカリーエ(大モスク)に入る、入口で履き物を預け、裸足になりに入る。
このモスクは715年にモスクとなった場所、元はキリスト教の教会だった場所だ。
建物の中には墓も有り敬虔な信者がお参りをしていた。出入り口に戻り記念撮影

スークを抜ける途中にはシリアのファーストフード?も有った。

観光も終わりダマスカスに戻る道を進む。途中昨日休憩したドライブインで昼食
ここで一昨日に会った日本人のお姉様方に再会した。
お姉様方は3人でガイド付きの車をチャーターして廻って居るそうだ。
話を聞くとコースは殆ど同じで、チャーター料は9万との事だった。
この後は同じくダマスカスに戻り、2日程滞在してヨルダンに向かうとの事だった。

お姉様方が出発した後、我々も出発、ハマを過ぎて暫く走ると右側にはアンチレバノン山脈が見えてきた。
あの山の向こうはレバノン、トリポリが近い筈だ。
途中、一度トイレ休憩でドライブインに入る。ここには無料のお茶が有った。

夕方5時近くにダマスカス到着、明日は最終日で夕方の飛行機だがホテルのチェックアウトが早いので何とかならないか確認。
ガイドは1時迄レイトチェックにしたと言っていた。

荷物をホテルに置き、今晩の夕食は自分で食べなければいけないが両替したお金が少なくなって来たのでCD機を探しに街に出る。
何とかCD機を見つけカードを挿入するが最終的に受け付けてくれない。
仕方なく又、他の場所を探すが、なかなか見つからない、途中大きなホテルにも入って見るがCD機無し、そこで見つけたのはケーキだった。

とりあえずお金も少ないので諦めて、最高級ホテルのフォーシーズンに行ってみるが、やはりCD機は無かった。
ホテルの側にCD機を見つけチャレンジするも今回も駄目。
仕方なく銀行に行き、3000円だけ交換した。

現金も一応出来たので、スークに廻り暫くウロウロしていた。
陽も暮れだし、スークの中も人が一段と増えている。一段と人集りの所はアイスクリーム屋さんだった。
8時近くなりお腹が減ったので初日のレストランに向かう。途中に幾つもレストランが有った。

レストランに入ると奥の席は女性を含むファイミリー様に衝立で分かれていた。
今回は羊・レバー・焼き肉?を注文した。直ぐ後ろで肉を焼いている

すると突然女性の声がした。ノーコリア、ノーコリア、どうも日本人の女性の様だ。
暫く交渉していて入って来て相席する。
話を聞くと京都出身で現在埼玉在住、旦那さんをおいて一人で旅行して居るらしい。
やはり、ヨルダンからレバノン、ベイルートを回り込んでシリアに入ったとの事、今はドミトリーに宿泊して次の場所への移動前との事だった。
ベイルートはかなり綺麗だったそうだ。
私の事は何処かの会社の駐在員か何かと思ったそうだ。(えっ、溶け込んでましたか…)

中東は女性一人でも危険が無く、素晴らしいと話して居た。
食後彼女はスークに向かって行った。

私は甘い物が食べたくて、夕方見たホテルのケーキ売り場に行ってみた。
まだ、店は開いていてケーキを購入、持ち帰りたいと言うと箱が無いとの事。
大きなケーキ用の箱を見せてくれたが、仕方が無いのでお皿にのせて町中をホテルに帰った。
ホテルでケーキを食べ、風呂に入り最後の夜の就寝。(ケーキは日本円で100円程)

08月11日(月)

やはり朝7時に目が覚める、8時近くに朝食を食べて、9時にガイドを待つ。

定刻にガイド到着、車で国立博物館に向かう、まだ時間が早く人も少ない中入場
中は撮影禁止、途中パルミラノ地下墳墓を再現した場所を見る。
地下に下りる階段の所には進入禁止が有るが、ガイドはどんどん下りていき電気を付けて見せてくれた。
その他、シナゴーグの壁画も有り、なかなか素晴らしい展示の博物館だった。
外の庭にも無造作に展示物が並んでいる。

そこからスークに移動、どんどん奥に入って行きアゼム宮殿に向かう途中で、又お姉様方に会う。
地元の女子大生と友達に成り、案内して貰っているそうだ。
そしてアゼム宮殿に入り中を見学。ここも建物の中は撮影禁止だが外人が盛んに写真を撮って居る。
一カ所看板が無かったので写真を撮ったら、外に出た途端に係員に怒られた。
その後ガイドまで身分証を確認されて居た。(申し訳無いことをしました)

再度スークに戻ると、ガイドが建物の中に入って行く、ついて行くとそこはハマムだった。
下駄に履き替え中を見学してきた。マッサージ室水桶洗い場?一番奥の部屋は
湯気で何も見えなかった。

そして最後がウマイヤ朝時代715年に建てられた世界最古のモスク、ウマイヤド・モスク。
イスラム教第4?の聖地として各国の巡礼が集まるそうだ。
やはりここもキリスト教会にも使われて居た場所。
異教徒は信者とは別の入口から入る。
北門の前にはサラディーン廟が有る、十字軍からエルサレムを奪還したアラブの英雄。
オリジナルとドイツから送られた石棺が並んで居る。

そしていよいよ北門からウマイヤド・モスクに入場した。

ここの装飾は本当に素晴らしい物だった、キリスト教時代の壁画も綺麗に残って居る。
そして、とにかく広くて大きい

建物内部は女性用通路と男性用に分かれて居る。
そして奥には聖ヨハネの首が納められて居ると言う場所が有る。
ミフラーブ(メッカの方向を示すくり抜き)と聖職者の説教場所も凄く豪華。

とにかく感激して出口に向かった。出口は一般信徒の出入り口

これでダマスカス市内観光も終了、ローマ門から大アーケードのスークを抜けて表に向かう。
途中、昨夜見たアイスクリーム屋さんでビスタチオのアイスを購入。
こうしてダマスカスの最後を楽しんだ。
サラディーン像の前で車を待つがなかなか渋滞で来ない。
タクシーで戻るかと話して居ると車が現れホテルに戻った。

ホテルに戻ると部屋が開かない、フロントに下りて聞くと12時でチェックアウトだとの事。
そんなはずは無いと食い下がるが、何とか荷物を取りに部屋に入れた。
最終的に着替えて何とかチェックアウト出来た。

2時にガイドが迎えに来て、空港に向かう。
その途中、出国税が1500シリアドル掛かると言われ慌てるが、ドルでも大丈夫との事で安心する。
空港に到着して航空会社カウンター前のセキュリティチェックの列へ並ばされるが、順番が来ると早すぎると追い返される。
まっ、3時間以上前だから当然か…
するとガイドがどうしたと?と聞きに来た。事情を説明し外に出るとドライバーも来て居た。
暫く話をして二人は帰って行った。

それから1時間ほど潰しているとチェックインが点灯、今回は問題なく通過して関西迄のボーディングパスを受け取る。

その後出国税35ドルを払い、遂にシリア出国

免税店区域へ、見て廻るが欲しい物は無し。
お昼を食べて居なかったのでサンドイッチとコーヒーで遅い昼食を取った。
時間になり、搭乗ゲートに行くと手荷物検査、ここで鞄を開けられ電池を沢山持ちすぎて居て捨てられて仕舞った。

飛行機に搭乗し遂にシリア離れた。飛行機はダマスカス空港からヨルダン上空、サウジアラビア上空を通り19時50分にカタール、ドーハに到着した。

帰国の飛行機は0時過ぎなので取りあえずカタールへ入国。
入国審査場はまるで売店の様。係官の女性にパスポートとカードを渡してカードのピンを打つとビザが発給された。
一旦外に出てみるが街までは3キロ程、どうしようか考えたが結局コーヒーを飲んで出発に戻った。

こうしてドーハで待ち時間

08月12日(火)

0時45分飛行機はカタールを離れた、やはり今回のフライトは空いていた。
席は一番後ろ窓側、隣には若い日本人男性が座って居た。
話を聞くと、エジプト、ヨルダンと廻りイスラエルに行ってきたそうだ。
イスラエルではパレスチナ人地区にも入ったそうで、彼はいろいろな印象を語ってくれた。
イスラエル出国時に2時間程止められパスポートに出国印を押されてしまい入れない国が出てしまったそうだ。

日本時間16時55分定刻通りに飛行機は関空に到着。
日本入国を済ませ。国内線乗り継ぎのカウンターへ。荷物を預けまたここで暫く時間潰し。
19時50分の羽田行きに乗る。

今度は隣に若い女性が、ドーハで見た覚えが有るので話し出す。
彼女は埼玉、所沢在住で何処かの学校の先生をしているそうだ。
今回はヨルダンの知り合いの所に泊まり近辺を廻って来たそうだ。
出発前に親には大分止めろと言われたそうだが、実際に行ってみるととても親切で良かったと言って居た。
結局、羽田の出口まで話して居た。
彼女はバスで所沢に帰ると言って居た。

私はモノレールに乗り、浜松町、そしてJRで東京、何とか最終前の新幹線に乗り、自宅には11時半に帰る事が出来た。

 

こうして、今回の旅行も楽しく廻ることが出来ました。
数ヶ月前からシリアのビザを取ったりが楽しかった。

飛行機には関しては、乗り継ぎがもう少し短い方が良いと思うがそれはそれで楽しかった気がする。

そして何より、エジプト、ギリシャ、ローマ、旧約聖書、新約聖書等の本に何度も出てくるダマスカスに行けた事に感激した。
自分は無宗教だが、とにかくいろいろな事を感じることが出来た。
本当に長い歴史の中に今が有る事を、中東は教えてくる場所だ。
西側のニュースだけに出る中東は危険が一杯の様だが、実際に生活している人たちは何も私と変わらない。
親切で、好奇心が有り、長い歴史の中に生きてきた。
そして私が思っているより日本の事を知って居る気がする。
是非、一度訪ねて見ると良い場所だと思います。
次は何処の国に行くことが出来るのか?
又、来年の為に少しずつ頑張ろうと思えます。

最後に、今回は日本の元気な女性が多かった気がします。
ただ、私はバックパッカーにはなれないでしょう。歩き方によってはその国で誤解を受ける可能性も有るような…
やはり、普段の日本での生活が有るから海外が面白くてしょうがない。
旅が日常に成る生活は私には出来ないと思う。

誤解の無いように追記、今回会った人たちの名前も連絡先も知りません(笑)

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