2009年ラオス旅行(前編)

2009年08月11〜16日

2009年08月11日(火)

朝、4時半起床。前日に台風の通過が有りそうなので、成田に行くのをバスに決めてチケット購入。
5時過ぎに何とか駅の集合場所に到着した。バスが来て乗り込み、携帯をチェックすると東海で大きな地震が有ったとのニュース。
ちょうど、バスを待って居た時だが気づかなかった。
台風の影響はさして無く、雨も降らずで練馬インターを通過して、外環に入るとドライバーが葛西で事故が有り渋滞発生の報が有ったと放送。
本来は中央環状に入り湾岸に入るが、加平迄行き環七に入る方が動けると思うのでコース変更します。との知らせだった。
加平から環七に入り一之江から京葉道路経由で、結局、予定時間には成田に到着した。
9時チェックイン迄30分程有ったのでラウンジで時間つぶし。
9時に団体受付に行き、今回のエアーチケットを貰い、ベトナム航空にチェックインするが、ハノイまでのボーディングパスのみで、ハノイから先はハノイで貰って下さい。
荷物は目的地まで行きます。クレームタグも目的地の空港だった。
一応、席はジャンプシート前の窓側を貰えた。
朝食をマクドナルドで食べて、そのまま出国審査を受けて免税店に行き、何時もの様にタバコを購入。
持って来たバックに全て入れて準備完了しボーディングゲートに移動した。

11時発のVN955は定刻より10分程早く出発した。
隣には赤ん坊を連れた女性が座り、旦那さんが真ん中の席の通路側に座って居た。
離陸して暫くすると赤ん坊が泣き出した。ふと見るとお母さんが母乳をあげる準備をしている。
仕方無いのでを見て居た。二人は日本に住むベトナム人らしく、一応日本語で挨拶してきた。
父親が席を替わって貰えないかと頼んできたので、私は通路側に移動した。
飛行は順調に進み、現地時間14時30分前にはハノイ、ドンムアン空港のスポットに入っていた。

私はトランジットなので飛行機を降りて進んで行くが、何と入国審査場前まで来てしまった。
見渡すと、壁際に乗り換え用受付カウンターが有り、そこには人が並んで居る。
とにかく列に並ぶが、なかなか進まない。よく見るとパスポートとボーディングパスの確認が一人、その後に女性がパスポートチェックをしていた。
自分の番が来て、チケットとパスポートを渡すと、ボーディグパスは?と聞かれるが、ここで発券の筈だと言うと、手続きをしてくれた。
その後、隣の女性にパスポートとボーディンブパスを渡すと、女性がパスポートに判子を押して返してきた。
何と、トランジットでイミグレーションの判子が押されたのだ。
そこから二階の出発迄上がり、再度荷物検査を受けて国際線待合室に入った。

次に乗るのはラオス、ルアンプラバン18時25分発、時間的にハノイ市内まで1時間ほど掛かるらしいので入国は諦めていたが、ハノイの設備は何とも言えない物だった。
まず、出発案内掲示板が無い、モニターが何カ所か設置して有るが、紙が貼ってありベトナム語で何か書いてある。
結局、故障のお知らせか何かの様だった。
ボーディングパスを見てもゲートナンバーも入って居ない。一応、各ゲートを見てみるが、自分の乗る飛行機の案内の所は無かった。
結局、喫煙室を聞いてそこで時間を潰して居た。

喫煙室では隣のゲートから出発する、台湾行きに乗るベトナム人から話しかけられたが、英語も良く分からないようで話が進まなかった。
その、台湾便が出て暫くするとルアンプラバン行きの案内に変わった。

結局、定刻から30分程遅れて搭乗が始まり、ゲートに入ると階段を下りてバスに乗り込んだ。
そこから暫く走ると、何とプロペラ機が待って居た。それもラオス航空だった。
乗り込むと直ぐに飛行機はランウェイに向かってタクシーを始めた。長い時間を過ごしたハノイともやっとお別れになった。

YS11に乗って以来のプロペラ機は力強くハノイを離陸し、1時間の飛行はアッと言う間に過ぎて行った。
結局、定刻から30分遅れの20時過ぎにラオス、ルアンプラバンに到着した。
町自体が世界遺産のルアンプラバン国際空港は凄く小さな空港で、下りると直ぐにカウンターが有り、日本人はノービザなので入国審査に進む。
入国審査は2つだけ、そこで遂にラオスに入国することが出来た。
審査の直ぐ後ろが荷物受け取り場所。5分程待って居ると荷物が出てきた。
荷物を持ち短い通路から直ぐに出口に、そこに現地ガイドが待って居た。あと二人来るから待って下さいと言われ、私はタバコを吸って待っていた。
10分程すると女性が二人出てきて、人数が揃ったので車に移動、そこからホテル迄15分程で到着、そこは二人の女性のホテルだった。
二人のチェックインが終わり、私のホテル迄は又5分程の移動で到着した。
辺りは暗く、結局9時近くのチェックインとなった。

夕飯を食べられる所が有るかと聞くと、ホテルの隣にレストランがあると教えてくれた。
明日は8時半に迎えに来ますといった後、直ぐに9時にしますと言ってガイドは帰って行った。
私の部屋は2階に有り、上がっていくと壁にはお約束の物が。
部屋はまあ満足の出来る部屋だった。部屋の中は禁煙らしく灰皿が無い。
それでもバルコニーが有り、そこで吸うことが出来た。一旦荷物を解き、町に出てみることにした。

出てみると、町外れらしく外はあまり人が動いて居ない。
教えられたレストランも殆ど人が居ないので、道の向こうに有る小さな店に行き、1.5リットルの水を購入する。
言葉は通じないが1ドルで3000キップのお釣りが渡された。

そのまま部屋に戻り、風呂に入り、明日の為に10時過ぎには寝てしまった。

2009年08月12日(水)

朝、5時半に起床、ルアンプラバンは朝の托鉢が有名だが、ここは町の中心から外れて居るので通る人数が少ないとの昨夜の説明。
とにかく着替えて下に下りると地図が貼ってあるのを発見した。
場所を確認すると徒歩30分程で町の中心に出られそうなので6時過ぎに歩き出した。
25分程で町の外れに到着して、町の方を見るとちょうど僧侶が出発するところが見えた。
近づいて行くと反対側からも僧侶が歩いてくる。歩いて居るのは殆どが子供だった。
数分で僧侶の托鉢行列は終了し、ホテルに戻ることにする。
仕事を準備する人、まだ寝ている人、町はゆっくりと動き出して居た。 お寺入り口僧坊入り口

ホテルに戻る途中にもガソリンか何かを売る人も居る。そしてパンを売る店、商店それぞれが早朝の町で動いて居る。
ホテルに7時前に戻り、朝食を食べに行く。
今年はやはり不景気の影響で旅行者は少ないようで、ホテルに人が居ない。
暫くすると日本人の若者が下りて来た。話をすると今日ビエンチャンに移動する人で、昨日はタートクアンシーの滝に行って来たとの事。
私はそこに行きたくて、どうだったか聞くと良かったが、水着を持って居れば、もっと楽しめたと話して居た。

食事が終わり、市内観光へ準備をしながら、持ってきた水着も鞄に入れた。

9時になり、ガイドが迎えに来て出発、先ずは昨日の女性達を迎えに行く。
滝へ行くにはガイド付きだと70ドルとの話。人数が居れば安くなるのだが…一応、女性達には話をしてみた。
彼女たちはバイクを借りて町を廻りたいと話していた。
私は今回免許も持って来ていないので無理と判断した。

市内観光が始まり、最初はワットシェントーン4、

次はそのまま徒歩でメインストリーを移動して旧王宮の博物館に。お土産を売る店
そして目の前に有る小高い山の上に移動する。階段は328段有り、頂上からは町が一望出来る。
見終わって下りてくるとお供え物を売るおばさん達の所で一休み。ここで突然上から枯れ枝が頭の上から落ちてきた。
ギリギリの所で直撃は免れたが、暫くは騒然としていた。

その後幾つかお寺を廻り、最後はメコン河畔のワットタートルアン、ワットピスンナラートへ。
これで市内観光は終了と成り、女性二人は昼食付きと言う事で、私も誘われて一緒に行くことにした。
昼食を食べて居ると、女性達は自転車を借りて出掛けると話が纏まり、私は一人でオプショナルツアーに行くことにした。

ここまで両替をしていなかったので銀行に行き、オプショナルツアー代を払う為にドルに換金した。ちょうど1万円が100ドルだった。

その後車は町から約35キロ程離れた山の中に向かって行った。昨年、舗装したと言う道は凄く快適で良い道だった。
1時間程で入口に到着した。

ここから歩いて山道に入るが、地球の歩き方には、付近で捕獲された虎と有ったので期待していたら。
近くで捕獲されたが飼育されて居る施設だった。

施設を過ぎて山に入ると直ぐに小さな川の流れが有った。そのまま上がって行くと大きな池のような場所が有る。
道際には着替えの場所も有るが、ガイドはまだその上に進んで行く。
次の段差には沢山の欧米人が遊んで居た。ここにも着替え場所が有り、私も水着に着替えて少し泳いだ
水は冷たくて気持ちが良いが、暫くすると寒くなって来て終了した。
又、着替えて上に向かって再度登り出す。
幾つものを見ながら最後に大きな滝出る。かなり近くまで行くことが出来た。

滝の上部にも行けるそうだが、途中道が崩れて居るそうで、今は通行出来ないそうだ。

帰りは広い道を通って入口まで戻って行くが、途中で水洗トイレに寄った。

入口前の売店ガイドさん焼きバナナを買って私にくれた。なかなか美味しいバナナだった。

車に乗り、ルアンプラバンに向かって戻り出す。途中には水牛、棚田などが有る。
水牛はたまに道一杯に広がって歩いて居たりした。
地元の人は殆ど歩きで移動している。まだ明るいから良いが暗いと大変そう。

そして、途中で少数民族の家屋の見学が有った。ここはコースになって居て集落を1周する間にお土産を販売している。
こんな懐かしい物も。出口では子供達が遊んで居た。

見学が終わり、ルアンプラバンに戻り、ホテルで降ろして貰う。明日はビエンチャンに移動で11時半に迎えに来ると言ってガイドは帰って行った。

夜は町の中心部にモン族のナイトマーケットが開かれるので、ホテルから又徒歩で向かうことにする。
途中、銀行で現地通貨キップを50万下ろす。日本円で5,800円程だろうか。
町までは20分程で到着。メインストリーは車両通行止めで、道には沢山のテントが並んで居る。
横道に入ると食べ物を売る屋台が沢山出ている。
300メートル程の間の沢山の店を冷やかしている間に日が暮れて居た。

幾つかの店で値段を聞くが、そう、大きな違いは無かった。
7時を過ぎたので夕飯を食べるためにホテルに戻ることにした。
来るときに広場にテントが並んで居たが、夜に成ると凄い明かりで人が沢山出ている。
道をそれて広場に入ってみると、そこは遊園地になって居るようで、多くの家族連れが遊んで居た

ホテルの通り迄戻り、今晩は昨日紹介されたホテル隣のレストランに行くことにするが。
とにかく人が居ないサラダと揚げ物を頼み、カオ・ニャオ(餅米)を頼むが、暫くするとカオ・ニャオが無く、スチームライスのみだと言われた。
仕方無くカオ・チャーオ(うるち米)で我慢した。

食事を済ませ、ホテルに戻り風呂に入ってこの日も一日が終了した。

2009年08月13日(木)

朝、6時に一回起きたが、托鉢を見に行く元気も無く、再度眠り、7時に起きた。
先ずはホテルの朝食を食べに降りる。
昼前には迎えが来るので、絵葉書を出しに街中の郵便局まで行く。
そのまま、今度は町と反対側に有る、タラートポーシーという町の人が行くメインマーケットに行ってみた。
2階に上るエスカレータが有り上がって見ると店は殆ど無い。
下の階はかなりの店が入って居る。しかし、地元の人は殆ど外に有る野外テントの方に居た。
道端では薬草のような物を売る人も居る、果物を売る店も有った。

そうこうして居る間に10時近くなり、ホテルに戻ることにした。

11時半にガイドが迎えに来て、空港に送って貰う。15分程で空港到着、チェックインをして貰いガイドとは別れた。
小さい国内線の待合室で待っていると、どうも私を呼んでいるらしい放送が入る。
何処に来いと言って居るのかが分からないが出てみるが???
国際線の入口の所に立って居ると、職員がチェックをしたかと聞いてきた。
横を見る国内線チェックポイントの文字が…パスポートとボーディングパスを渡し確認をして貰った。

12時過ぎにプロペラ機が到着、そのままそれが折り返しでビエンチャン行きになる。
搭乗のアナウンスが有り、国際空港を後にした。

離陸すると旋回してルアンプラバンの町がよく見えた。

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