レバノン共和国旅行(前編)
2010年7月27日〜08月01日

2010年07月27日(火)
夕方4時30分過ぎに会社を直帰し、高崎駅に向かう。
新幹線で東京へ、その後浜松町でモノレールに乗り換え羽田第一ターミナルへ到着した。
18時40分に団体間カウンターにて今回の旅行用Eチケットを受け取りコードシェアーの日航カウンターにチェックインした。
荷物はベイルート迄の預けとなり。カウンター職員からはレバノンのVISAは初めて見たと驚かれた。
飛行機は20時40分発なので、取りあえず夕食を食べる。することも無くそのままゲートに向かった。
定刻に飛行機は出発、21時55分には関西空港に到着。そのまま国際線出発ロビーに向かい出国した。
何時も通りにショートピースを買い込み22時15分飛行機は中継地点に向かって飛び上がった。

2010年07月28日(水)
早朝04時過ぎにEK317便はドバイに到着した。
乗り継ぎのためにトランジット案内に従い出発ロビーに向かう。4年ぶりのドバイはターミナルが増えて居て乗り継ぎの為に第一ターミナルに向かう。
これが関西空港と同じ横移動の為に凄く時間が掛かる。
第一ターミナルは4年前の乗降ターミナルだった。時間が有るのでビジネスクラスラウンジを探し、今回持って行ったプライオリティパスでラウンジに入った。
早朝でも有り、人は少なくのんびり煙草を吸い、軽食を取り時間が来るのを待って居た。
6時45分に自分の乗る搭乗ゲートに移動、ここには日本人は一人も居なかった。
定刻07時20分にEK957はドバイを飛び立ち目的地ベイルートへのフライトが始まった。
クェート手前からサウジアラビア上空を飛行し、ヨルダン、シリアを通り遂に地中海上空に飛行機は出た。
左旋回をしてベイルートを見ながら飛行機はハリリー空港へ進入していった。
隣に座った人が数珠の様な物を手に持ち、一つ一つ玉を動かしながら何か唱えている。
数珠はマスババと言い、玉の数だけ神を賛辞する意味が有るらしい。(着陸が怖かったのでしょうか?)

何事も無く定刻09時40分に飛行機はベイルートに到着した。
機内で書いた入国カードを手に入国審査に並ぶ、私の番が来ると、入国カードにホテルの名前が書いていないと指摘される。
行程表を見せて書き込んで貰い、無事にレバノンに入国した。
荷物を受け取り、税関で再度パスポートを見せて外に出た。(税関でパスポートを見られたのは久々だった。)
外には私を見つけたガイドが手を上げていた。(東洋人は私しか居ないので分かったらしい)
駐車場に案内され、車に荷物を積み込み後ろに乗ろうとすると前に座れと言われた。今回はドライバー兼ガイドだった。
車はレバノン市内を走りその日の目的地ビブロスに向かうのかと思ったら、ガイドが行程表を見せてくれと言い、アイテナリーを見せると…

今日はこのままトリポリに向かい、その後プシャーレに行きレバノン杉を見て宿泊地に行こうと言って来た。
まっ、良いだろうと了解しトリポリに向かって車は走り出した。
ガイドは忙しいらしく、とにかく四六時中携帯電話で話してメールして、思い出したように観光案内をしている。

最初にドックリバー(ナハル・エル・カルブ)に到着、説明をしながら橋のたもとで停車し写真を撮って来ればと進められ取りあえず降りて写真を撮る。
いろいろな碑文が有るが…数枚しか撮らなかった。(ここは元々ラムセス二世がカディシュの戦い(紀元前1275年頃)にここを通りかかり碑文を刻んだのが始まり。
そのことに気づいたのは後の事)

見終わると車は又トリポリに向かって走り始めた。途中、街ごとなのか突然車線が規制され、一台ずつ通される、そこには機関銃を持った兵士が監視していた。

遂にトリポリ市内に車は入った。坂道を上がり最初の見学場所セント・ジル要塞に到着する。
ここは十字軍が作った要塞だが13世紀に殆どが焼けてしまい。14世紀に当時の統治者が一部再建したらしい。
入口でガイドが簡単な説明をしてくれる。その後はじゃ、自由に見てきてだった。
入口近辺は軍が警備している。中に入るとかなり広い要塞だった。

ガイドが来ないのでとにかく適当に歩き回ってみた。煙草を吸いながら階段を上がろうとすると兵士に止められた。
一瞬禁煙かと思って居ると、英語を話す人間が出てきたので煙草を捨てるところを聞くと…
どうも一般人進入禁止の所だったらしい。それから暫く要塞の中を探索して入口に戻るがガイドが見当たらない。
ふと見ると相変わらず携帯電話で話をしていた。
見学は終わったかと聞かれ、OKと言うと次はスークに案内するといい階段を下りていった。(路地)
階段を下りると狭い道の両側がオールドスークだった。
(魚屋)
キャラバンサライ跡地でやっと水を購入、ガイドに空港で水が欲しいと言ったらここまでかかって仕舞った。
ガイドは酒は飲まないのは当然だが、煙草も吸わないので途中休憩もなかなか無かった。
とにかく狭いスークを見て廻ったが、これでやっとイスラム圏に来たことを実感した。

トリポリを後にしてブシャーレに向かう。ここまでの印象はとにかく緑が多い、地中海から直ぐに山が有り急な坂道が多い。
その運転中もガイドは携帯電話で話をしている。
プシャーレはレバノンから120キロ標高1450mカディーシャ渓谷に有る。

素晴らしい景色を見ながら今日泊まるホテルの前を通過して5キロ程奥のレバノン杉の保護区に向かった。
標高は2000m近くになるが日差しは強いが日陰はかなり涼しい。
写真で見たことのあるお土産屋の所で、車を降りる。
今日の行程には昼食は付いていない、昼食をどうすると言われ、レストランで食べる事にする。
席に着き鳥のグリルを注文して二人で食べる。食事中もガイドは携帯電話
支払いをしようとお金を出すと、ガイドがご馳走様と言ってきた…。呆れながらも払ってしまった。

レバノン杉保護区の入口手前でガイドは自由に廻って来てと言い、中は禁煙ね!!とだけ言ってレストランに戻って行った。
保護区入口から入り、いよいよレバノン杉を見に行く、急な斜面レバノン杉が生えている。
遊歩道の中を歩いて行くがなかなか見応えがあった。
保護区の上はスキー場、冬場は雪に埋もれるとのこと。
1時間ほど見て廻り出口に来ると、入口側でお金を出している人が居た。
有料だったのか?と調べてみると、無料で寄付を受け付けているのだった。

レストランの所の戻ると、相変わらず携帯で話して居るガイド…
取りあえず車に戻り、本日のホテルに連れて行って貰う。チェックインを済ませ、明日の予定を説明してくれた。
明日の朝は9時に迎えに来ると言い残してガイド、ハサンは出て行った。
ホテルの周りは何も無い…夜も食事は自分で食べる行程だが…
ホテルの従業員が夕食をどうするか聞きに来た。結局7時半にお願いしてホテルで食べる事にした。
部屋に入るとエアコンは無し、お風呂を見ると普通の半分ほどの風呂桶。
日本を出てから30時間以上過ぎ、とにかく風呂にお湯…を張り一段落することに。
しかし、なかなか熱いお湯が出て来ない、結局ぬるま湯でお風呂とシャワーを済ませた。
窓を開けるとエアコンの必要は無いことが分かる、夜なら寒いくらいの標高だった。

日暮れになってもアザーンは聞こえない、この地区はマロン派のキリスト教徒が住む地区なので、夕暮れに聞こえるのは鐘の音。
まるでヨーロッパの何処か山の中に居る感覚を覚える。
ホテルの周りも何も無いので外に出る事もあまり考えられない。窓から景色を楽しんでいた。
日が暮れると突然電気が消えた。暫くすると点いたが何だろうと驚いて仕舞った。

時間に成りホテルの食堂に降りて行った。広い食堂に何組かの食事が用意してある。
食べようとすると又停電した。ホテルの従業員は慌てた様子もなく準備している。
食べて居る間にも2回程停電はあった。食事している間に結局6人程しか人は居なかった。

部屋に戻り、10時過ぎには疲れて寝て仕舞った。

07月29日(木)

朝7時前に目が覚めてしまった。朝食は8時と言っていたので取りあえず外に出てみることにする。
表通りに出てみると素晴らしい景色が広がって居る。

朝の教会の鐘が渓谷に響いて居る。下から老婦人が上がって来るが挨拶はボンジュール。
フランス人の早朝散歩だったようだ。
ホテルに戻り朝食の時間を待つ、時間に成り朝食を食べて荷物を整理して9時前にフロントに行くとハサンが待って居た。

この日もハサンから行程の変更を持ちかけられる。このまま山を越えてバールベックに行く方が良いと言うのだ。
昨夜地図を見て確認していたが、確かにその方が行程的には無理が無いので承諾する。
早速、車に乗りレバノン杉保護区を越えてレバノン山脈を上って行く。
スキー場の先にはやはり通過確認が居た。

ガードレールも無い山道を車はどんどん上がって行く。GPSを見ると標高2700m。
峠で車を止めて地中海方面を見る。ここでやっと記念撮影

峠を越えると向こうにはベカー高原が広がって居る。車はどんどん下って行き下りて来た山が直ぐ上に広がって居た。
下ると標高1000mの場所に豊かな穀倉地帯が広がって居る。
ローマの穀倉地帯と言われて居たことが凄く納得出来る景色だった。

そして遂にバールベックの有るに到着した。入口側に駐車しバールベックに入って行った。
券売所の直ぐ先が入口の階段元はすごく幅のある物だったが現在は上れる幅だけが残って居る。
急な階段を上ると六角形の前庭が有り、そこから大きな遺跡が広がって居た。

大庭園の上がジュピター神殿で現在は6本の列柱だけが残って居る。とにかく広くて凄い神殿跡だ。
横にはバッカス神殿が有り、この横にはフェスティバル用の観客席が組まれて居た。バッカス神殿の中にはドイツ皇帝とオスマン皇帝の会見記念碑が有る。
バッカス神殿前で記念撮影をした。

ここでハサンから自由行動を告げられ45分から1時間廻ってくると言って別れた。
再度ジュピター神殿跡に戻る。

大庭園に戻りジュピター神殿の階段を振り返ると、その大きさに本当に圧倒される。
観光客が皆列柱の前で石に上り写真を撮っているので負けずに…

一通り見て廻り出口に向かう、中には発掘された物が展示してあった。
出口で待って居たハサンと外に出ると物売りが近寄って来た。カフィーヤが欲しかったので相手をしていると、まず見せたのはプリントの布。
これは違うと相手にしないで居ると、ハサンがこれじゃ駄目だと言ってくれた。
慌ててちゃんと刺繍されたカフィーヤを持って来たので3枚買うことにする。
支払っていると次は数珠の様なマスハバを出して来た。しかしこれもプラスチック製、偽物だと言うと木で出来た本物を出して来た。
その次は古代のコインが有る、絶対本物だからと手渡された。
最初1枚だった物が最終的に3枚出して来て日本円で3000円位…どう考えも本物がそんな安いわけがないが…つい買って仕舞った。(コイン
全て買うとプラスチックのマスハバとプリントのカフィーヤも袋に突っ込まれていた。

バールベック見学を終え、今日のお昼に向かう。
今日はお昼は含まれているので向かうと、地元の農家がやって居る直売所の様なに入った。
お昼はレバノン産ピザの様な物だった。食べきれずに残しているとハサンが残ったピザを持って行きお土産に包んで貰って居る。
そしてヨーグルトも3缶ほど購入していた。(全て家のお土産にしたようだ)。
食べ終わり店を出て次の目的地に向かう。

ベカー高原の真っ直ぐな道に突然の侵入者

無事に通過して車はアンジャルに入った。

ここはアンチレバノン山脈の下、8世紀ウマイヤ朝のカリフが建てさせた遺跡

2年前にシリア側から山を見て、その向こうに2年後に立つことが出来た。
ダマスカス街道沿いのレバノンに唯一残る城塞都市。入口直ぐの手前の方が商店があった場所。
そして役所跡地、ここには2段に組まれたアーチが残って居る。
40分程散策してアンジャルを離れた。

アンチレバノン山脈を見ながらベイルートに向かう。
ダマスカス街道は交通の要所でかなり広い道だがセンターラインはあるがとにかく前の車が遅いときは抜きに掛かる
それが対向車線でも繰り広げられている。

峠を越えて遂にベイルートに下りだした。一挙に標高を下げながら車は地中海沿岸のベイルートに入った。
市内で給油後本日のホテル海岸側のホテルにチェックインした。

最終日の飛行機が夜8時過ぎなので、レイトチェックをお願いする、何とか1時半まで部屋を使わせて貰える事になった。
ハサンに夕飯を食べるところは有るかと確認すると、ホテルを出て右に降り、海岸を左に行けば沢山レストランがあると教わった。
そして明日も朝9時に迎えに来るとハサンは帰って行った。

ホテルのフロントは凄い美人だった。一応市内地図を貰い部屋に入る。
夕方近く成って居たので取りあえず荷物を置き、一番賑やかなハムラ地区を見ようとホテルを出た。
地図を確認すると地中海沿いに歩道が整備されていて歩けるようなので右に降りて地中海沿いを歩き出した。

本当にベイルート市民が思い思いに散策している。
長い海岸線を歩き、インターコンチネンタルフェニキアベイルートまで行き、そこから坂を上り歩いて行くと、子供達にニーハオと囃し立てられる。
やはり最近は日本人より東洋人は中国人が多く出て居るのだろうか?
何とかハムラ地区に入り道路沿いの店を見て行くが、輸入物の店が多い。
7時近くにホテルに一旦戻り、夕飯の為に今度は鳩の岩近くに出掛けて行った。地中海に陽が落ちて行くのが美しい。
人気の少ないレストランのボーイに誘いを受け、何となく入って仕舞った。
鳩の岩が横から見える崖の上に立つレストランで、今晩の夕食を食べた。
レバノン空港が見え、飛行機が降りて行くのが間近に見えた。

夕食を終え、ホテルに戻り下のお店で甘い物を買い部屋に戻った。
お風呂は今回は広く、ゆっくりと入りレバノン二日目は過ぎて行った。

戻る 後編


inserted by FC2 system