2003年8月8日〜8月15日 
エジプト・トルコ旅行(後半)

2003年8月11日アスワンのホテルで朝食を摂る、この時ワエルに借りていた50LEをやっと返すことが出来た。但し本人は忘れて居たらしい。
朝食後、車に乗り飛行場に向かう、途中砂漠の砂を拾うため停車した。アスワンの砂漠の砂はサラサラで、お土産にするにはアスワンのが最適とガイドブッ クにもあった。
見にくいが、砂の上の小さな跡は糞転がしの足跡だそうだ。は風の為に砂がのっている。
アスワンの飛行場に到着し、チックインし飛行機を待つ、搭乗開始で荷物を検査機に入れると、ナイフがあると指摘される。確かにキーホルダーに付いているので出すと、他に鋏が有るはずだと聞かれる。よく考えてみると爪切りのケースが有る、その中に確かに鋏が入っていた。ついでにナイフがもう1本。結局機長預かりで飛行機に乗り込んだ。
10時25分にアスワンを出た飛行機は、11時05分には次の目的地ルクソールに到着した。
ここから又車で移動、本来はルクソール西岸、東岸を半日で廻る日程だったが、翌日の飛行機が夕方なので、今日は東岸の神殿だけにし、明日の朝早く、涼しい内に西岸を廻る方が楽だとのワエルの提案で、この日は最初に東岸のカルナック神殿を目指す。
カルナックはルクソール市内から約2.4キロ南に有る。
入り口は元はナイル川からの運河の船着き場だった所だ。
此処もとにかく広い、入り口から奥までがまるで迷路のような作りだ、何世代にも渡り、増築、改築が有ったとの事。入り口から入り説明を受け、暫く自由に見学した。()最後に入り口付近で記念撮影
カルナック神殿を後にして、ルクソール市内に戻る。今度はルクソール神殿に向かう。
ナイル川を横に見ながら、神殿に到着。入場券を貰い中に入る。
ここは最初アメンヘテプ3世が建てた物だが、ラムセス2世が改造して自分の神殿にしたらしい。発見前は砂の下に埋もれていたとの事で、神殿の上にモスクが建っている。
神殿の通路から見上げると、モスクの元の入り口が見える。(
見学が終わり、正面に戻って来る。正面の右は神様、左はラムセス2世像。左にはオベリスクが有るが、右のオベリスクは現在は無い。このオベリスクは現在パリのコンコルド広場に立って居る物だ。フランスが時の政府にプレゼントした物の返礼として、フランスに送ったとの事だった。
見学が終わり、ナイル河畔のレストランで食事をする。この時気づいたのだが、ルクソール神殿は本当に街の中に建っている、尚かつ此処ではルクソール神殿の裏側にはマクドナルドが有った。
食後市内のお土産屋に行く、私は此処で出掛ける前から欲しかったガラベーヤを購入した。その後ホテルに到着した。
その後は自由なのだが、ワエルと話、夕方から馬車でルクソール市内を廻ることにする。
今回のホテルは風呂付きだった。一旦荷物を置き、風呂に入ってホテルの廻りを見てみる事にする。ホテルの前は馬車が沢山居て、乗らないかと声をかけられる。
近所で水を買い、絵葉書を買ってホテルに帰る。
夕方、ワエルと馬車に乗り、街の中の一番大きな市場を巡る。40分程で川岸に出るが、残念ながら日没には間に合わなかった。
その後、私の希望でチャイ屋さんで水煙草を吸った。味は林檎味だ、吸い方が良く分からず、ひたすら吸っていたが、廻りを見ると、一口吸っては休んでいる。気付いた時はちょっと気分が悪く成っていた。
それからホテルに戻り夕食を食べ、書いて置いた絵葉書をフロントに頼んだ。(9/1現在未着)明日は6時30分に朝食、7時出発なので再度風呂に入り寝ることにした。

8月12日朝6時起床、6時半朝食。そして7時には西岸に向けて出発した。
現在はルクソールの上流に橋が出来ているので、ホテルからそのまま車で行くことが出来る。昔は全て船で行き来していたそうだ。
西岸で最初に付いたのがメムノン巨像ここで日の出を見る。
ここからいよいよ王家の谷に向かう。王家の谷は、荒涼とした山の間を入って行くと有る。
先ずチケットを買い、荷物検査をし、そこからタフタフという乗り物で上に上がる。

チケットで王家の谷に有る墓の内3つに入ることが出来る。2つを見て3つ目に行こうとするとツーリストポリスが山の上に案内してくれる。結局人のあまり来ない所へ案内されるが、そこでバクシーシーの請求が有った。3つ目の墓は人も居なくて、案内人が石室の奥に有る部屋を覗かせてくれた。そこにはミイラが有った。見終わって下って行くと、山の上に人が見えた。後で聞くと山の向こうがこれから行くハトシェプト女王の葬祭殿で、向こう側から上まで驢馬で上がって来るらしい。
最初の墓の側に戻り、ツタンカーメンの墓に入る、此処は別料金。カイロ博物館に有る収蔵物から考えると、とても小さな墓だった。見学が終わりタフタフで山を下りる。
次に向かったのはハトシェプト女王の葬祭殿。山裾を一回りして到着。
入り口の土産屋さんでターバンを巻いて貰う。段々日が高くなり、暑さを感じるようになる。此処もチケットを買い、手荷物検査をして入る。入り口から葬祭殿迄日差しを遮る物は何も無い。現在1階は入れない、2階を見、3階部分まで見て戻る
テロにより、日本人を含む多くの観光客が犠牲になったが、現在はその痕跡は全くなかった。
大きい建物にしては、見るものは思っていたより少なく、その割には歩く(チケットゲートから神殿までが距離がある)。
見学後は石屋さん見学をするが、冷たい飲み物と云われ、温いスプライトを貰った。
そうこうしているうちに時間が来たのでホテルに戻る。
今日は18時15分の飛行機でカイロに戻るが、昼食は付いていない。ワエルと相談し、一緒にお昼を食べることにする。
私はホテルから出て、CD機を探しに歩いた。銀行が有り何とかお金をおろすことが出来た。
ホテルに戻り、12時にワエルと行ったのはマクドナルド。私はビックマックのセットを頼んだ、付いてくるコーラが特大、ポテトも特大だった。
店員は皆、髭の生えたオヤジばかり。さすがアラブ圏日本では女性店員で見慣れているので、何か不思議なものを感じた。
3階に上り外を見ると、ルクソール神殿が見えた。エジプトに来て以来、同じような食事が続いていたので、ハンバーガーがとても美味しく感じられた。
食後、ホテルはレイトチェックにして貰って居たので、小さい市場まで歩いて行って見た。
暫く街を歩いてホテルに戻り一眠りして、夕方4時30分にチェックアウトした。
5時にホテルを出て飛行場に向かう。18時15分の飛行機でカイロに戻る。
カイロ空港は19時20分到着。迎えの車に乗り一路ホテルへ戻る。途中ワエルは乗り捨てて居た車の所で降りていった。
20時過ぎにホテルに帰り、今回は風呂の有る部屋に変更して貰う。先ずは夕食を食べる事にする。席に着き食べ始めると、またも太鼓の音が鳴り出した。
今日も結婚式が有るようで、笛?と太鼓で賑やかだった。食事が終わり部屋に戻り風呂に入るが、出るのはぬるま湯。まっ、無いよりましと身体を洗い眠りについた。

8月13日エジプト最終日、本来はフリーの日なのだが、泊まっているホテルがギザの外れ、地下鉄の駅までもかなりの距離が有る。地図で確認しても何処だか良く分からない。
その為、今日の午前中は市内観光を御願いした。
朝7時に起きて、朝食を食べ8時半にはロービーで待って居た。
迎えが来てカイロに向かう。最初の目的地はカイロ東端のシタデル(城塞)だ、此処は1176年に将軍サラディンがピラミッドから取った石で壁と塔を造った事に始まり、700年間各王朝に依って様々に改修が繰り返された。
車をシタデルの入り口ムカッタム門前で降り、チケットを貰い中に入って行った。
坂道を上っていくと、ムハンマドアリー・モスクの尖塔が見えてきた。回り込んで中に入ると中庭?が有る。此処には礼拝前に身体を清めるための場所がある。その向こうにはフランスから送られた時計台が建っている。これがコンコルド広場のオベリスクの交換品の一つ目。但し現在時計台は修復中(2年間前から工事中で完成予定は未定らしい)靴を脱ぎ中に入る。この建物は比較的近代に造られた物だそうだ。
中には立派なシャンデリアが有る。これがフランスから送られた物の2つ目。
外に出ると、西側の見晴台へ出た。ここからはカイロが一望できる。(
下に見えるのはイスラミック・カイロのアル・アズハルモスクか
見学が終了し、今度はカイロ最大の市場ハーン・アルハリーリィーに向かう。此処は細い路地の間に店が沢山並んでいる。モスク前で車を降り、いよいよ市場入っていく
朝未だ早く、これから店が開くところなので、それ程客引きは居ない。路地を抜けて少し大きな通りに出ると、そこには沢山の人が歩いていた。
両側に店が有り、種々雑多な物を売って居る。私は一軒の香辛料屋の前で声をかけられた。覗いてみるといろいろな香辛料が置いてある。中に入れお茶をご馳走しようと案内されると、ショウケースが前に移動し、中に入れられる。
香辛料の説明を聞き、私はサフランを買うことにした。果たして高いのか、安いのかは定員のみが知って居るだろう。まっ、日本で買うのを考えれば凄く安い。
包んで貰い、店を出ると呼び止められた。先程のお茶が届いたから飲めと云われ、再度中に入りお茶をご馳走に成った。
買い物を終え車の所に戻る途中にはお菓子屋出口付近には楽器屋も有る。
車に戻りカイロ中心部のレストランに行く。()食事が終了するとホテルに戻った。
1時過ぎにホテルに到着し、一休みしてからホテル裏の通りに行ってみる。未舗装の道で両側には店が有る。暫く歩くと道が細くなり、これは自分の行きたいところには出ないようなので大通りへ戻った。
ギザの中心部を目指して30分程歩いたが、何処が中心なのか分からない。仕方なく来た道を戻った。
部屋に戻り帰国の準備をする。帰りの飛行機は深夜3時30分発、最後の夕飯を7時過ぎに食べ、お風呂に入り仮眠するようにした。部屋の外からは相変わらずクラクションの音が響いていた。

8月14日0時にモーニングコール?荷物を降ろしチェックアウトする。フロントには送迎のエージェントが来ていた。1時前にホテルを後にする。空港に向かう車の中でエージェントがこぼしていた。毎日送り迎え、寝る時間が少ない等々。
空港に到着しチックインの作業も全てエージェントがしてくれる。出国カード迄書いてくれる。
その時、後ろから声をかけられた。何と初日に一緒に成った若い女性。無事だった事にホッとした。
出国手続きをし待合室に入る、免税店を見て搭乗待ちの所に行き、若い女性と話す。
結局あの日、彼女は入国してツーリストポリスに紹介されたホテルに行ったらしい。その後何カ所か廻ったそうだが、カイロのホテルで紹介されたホテルがあまりに酷く、かなり憤慨していた。
彼女はこの後、トルコからシンガポールの友達の所に寄って帰るのだそうだ。
いよいよ飛行機に乗り込みエジプトに別れを告げた。
しかし飛行時間は2時間15分程、仮眠をしている間にトルコのイスタンブールに到着。
時刻は6時前。日本への飛行機は17時30分、時間が有るのでイスタンブール市内観光に行くことにする。
先ずはトルコリラに両替をする、3000円が32,725,000TL両替をしてからCD機で5千万TL引き出す。
そしてトルコへ入国した。空港ターミナルを出て、市内行きバス、ハワシュを探すと、直ぐ見つかった。終点はタクスィムという新市街だが、時間的に旧市街しか見られないので、トラムの駅の有るアクサライ迄行くことにする。乗り込んでアクサライ迄の切符を頼むが金額の大きさに戸惑いを感じた。7時前バスは市内に向けて出発した。
右にはマルマラ海が見える、20分程でアクサライに到着。下車してトラムを目指して歩く。
トラムの切符はホームの外に有り、此処でジェトンを購入した。ジェトンを改札機に入れるとホームの中に入った。トラムの料金は1,000,000TLだったと思う。明るくはなって居るがまだ日は昇って居ない。自分の乗るトラムが来たので乗り込む。目指すはスルタンアフメット地区旧市街でブルーモスク等が有る。4つ目の停車場がスルタンアフメット。ここで降りて最初にブルーモスク事、スルタンアフメットジャミーを目指す。此処が1番早く開く筈で8時開門、時間が有るのでオベリスク(これはカルナック神殿からローマ皇帝が持って来た物)の有る広場へ行ってみる。未だ殆ど歩いている人も居ない。坂の下から日本人が3人歩いてくる。朝の挨拶をしてすれ違う。
も未だ開いては居ない、仕方なくブルーモスク前の公園に行く。ベンチに座りエジプトのホテルで貰った朝食のパンを食べるが、凄く寒いので、日の当たるベンチに移動した。
8時近くなると、徐々に人が動き出した。
いよいよブルーモスクに入って行った。しかしブルーモスク内部に入れるのは8時30分から、仕方なく建物の廻りを見ていると、トルコ人が近づいてきた。流暢な日本語で話しかけてくる、何処から来た?何処に行く?等の話をして最後に絨毯を見ないか?だった。
私は単なるトランジットなので時間が無いと云うと、さようならと次の人を見つけに行ったようだ。
8時30分になり内部に入る。やはりモスクは靴を脱いで入る。ブルーモスクの内部は大変綺麗だった。()ここは入場料は無いが、出るときに喜捨するシステムだった。
次に見ようとしたのは地下宮殿、歩いて5分程の所。此処の開場は9時からなので、又暫く廻りを歩いてみた。9時前に行くとここも人が集まり始めた。
9時開場と同時に入った。階段を下りるとそこには列柱の並ぶ空間が有った。ここは地下の貯水池4世紀から6世紀頃に造られた物らしい。考古学者が発見するまでは地下にこのような物が有ることは誰も知らなかったとの事。
実際に見てみると、凄く幻想的で素晴らしい所だ。奥には水を止めて、巨大なメドゥーサの顔が有る。横向きと、逆さの2つ。他にも彫り物をした列柱が有る。
下は一面澄んだ水で満たされ(深くはない)、上の回廊を歩く形式だった。 水中には小さな魚が多くいた。鯉のような大きな魚もいた。幻想的なライトアップとBGMで不思議な雰囲気を楽しめた。
感動して外に出て今度は有名なトプカプ宮殿に向かう、此処の開場は9時30分。
地下宮殿からトラムの線路沿いに歩いて行くと、ギュルハネの停車場が見えてきた。
ここからトプカプに入るのだが、最初は間違えてギュルハネ公園に入ってしまった。暫く歩いても宮殿入り口がない。仕方なく戻ってみると入り口の所に登り口が有り、そこには案内が出ていた。
坂の途中には国立考古博物館、古代東方博物館、装飾タイル博物館が有ったが、時間の関係で通り過ぎた。
坂を登り切り左に曲がると、トプカプ宮殿の入り口が見えてきた。その前の道路には人が並んでいる。これが入場券の購入の為の列と分かり後ろに着く。
20分程で入場券売り場の窓口に辿り着いた。ここでトプカプ宮殿の入場券と宝物館の入場券を購入した。入場券売り場の窓口がえらく低くて、観光客は誰もが腰を下ろし、しゃがみながら券とお金の受け渡しをしていた。私も腰を曲げて購入した。低すぎる窓口だった。
送迎門から宮殿に入場した。入ると第二庭園、右側には煙突の様な物が見える。昔の厨房の様だ。
この建物の中にも陶磁器、ガラス等、昔の服が展示してある。反対側にはハレムが有るが、此処は別の入場券が必要で、尚かつ時間指定が有るらしいので残念ながらパスした。
幸福の門から第三庭園に入る。此処の右側の建物が宝物殿。券を見せ中に入る。
歩き方には大きなダイヤや短剣が紹介されていたが、幾ら見ても無い。帰って知った事だが、現在日本のトルコ展に貸し出し中だった。
宝物殿を見た後、建物見学中にイスラムの祈りの時間になったらしく、マイクに向かってコーランを読む人を見ることができた。貴重な経験だ。ただ、周りは観光客だけなので、祈る姿の人はいなかった。
地に伏せて祈る、イスラム独特の姿は、帰りのカイロの空港の駐車場で見かけた。
そこから裏庭?のバーダッドキョシュキュへ通路を通って出てみる。(
ここから見えるのはヨーロッパ側旧市街と新市街そしてその間が金角湾。私の後ろにはガラタ橋が有る。
それからレストランの有る方向に向かい、レストランの裏に出るとボスポラス海峡が見えた。遠くにボスポラス大橋が見えて、左がヨーロッパ、右がアジアに成っている。海を行き交う船を見て、私はかなり感動していた。此処がヨーロッパの最終地、そして向こうには自分の住むアジアへの入り口。
見学を終え宮殿を出ると、入場券売り場の列は一段と増えていた。
ここから、今度は坂を下りず正面口からアヤソフィア博物館に向かう。(ブルーモスク側から見たアヤソフィア博物館)此処でも日本語の上手い絨毯屋さんに誘われる。
しかし、皆それ程つきまとう事は無い。(お金が無さそうに見えるのか?)
入場券売り場に並ぶと、両替、CD機のお金が心細く成っていた。乗り物等は安いのだが、それぞれの入場料は結構高い値段を取る。仕方が無いので此処はカードで払って入場した。
アヤソフィアは元はギリシャ正教の大本山だったが、十字軍遠征でローマ聖教の教会と成った事も有る。その後はビザンツ帝国のジャミイとして活用されていた。
20世紀に成り漆喰の下から、教会時代のモザイク画発見され、今は博物館に成っている。
見学を終了すると12時を過ぎていた。ここからトラム沿いに2駅程歩いて坂を上り、右に曲がると有名なグランドバザールへと入って行った。
本当に大きなバザールで、建物の中に迷路のように店が並んでいた。此処を暫く見て回り、ベヤズット駅から朝乗った2駅目のラーレリにトラムで戻る。
1時近くなりアクサライのレストランで食事をしようと思ったが、もうバス代くらいしか残って居ないので諦め、ハワシュ乗り場に向かう。
バスは30分間隔だがなかなか来ない。道に向かって立って居るとタクシーが何台も寄って来た。何台か断っているとバスが来たが、満車で行ってしまった。
どうしようか考えていると、露天のおじさんがバスは来るから待てと、身振りで教えてくれる。30分程で次のバスが来ると、おじさんが合図をして止めてくれて、何とか乗り込み空港に戻ることが出来た。(本当に親切な人で、トルコに凄い親しみを覚えた。)
出国審査を済ませ、空港内のレストランでやっと昼を食べた。免税店で自分用の物を購入してカードで払うが、明細は216,400,000TLだった。こんな高額の買い物はもう一生出来ないだろう。因みに帰国後の請求を見ると、日本円で18,805円だった。
とにかく0の多さに吃驚の体験だった。
17時30分遂に飛行機は成田に向かって飛び立った。長いようで短い旅も終わりとなった。
トルコからの空路は来るときはシベリア上空からモスクワをかすめイスタンブールに着いたが、帰りは何と黒海の下を通り、中国上空から韓国近辺を通り日本に飛んでいる。
成田到着時は凄い雨で吃驚してしまった。

こうして、台風から逃げるようにして出発した旅も終わった。
今回の旅行で思った事は、ギザのホテルはとにかく不便だった。4つ星なのだがかなり古い。従業員はフレンドリーで良かったが、出来ればカイロの中のホテルが良いだろう。
暑さ45度は本当に凄い。砂漠で乾燥しているから未だ良いのかも知れないが、日中日陰が無いのが辛い。カイロの35度は快適に感じる。
エジプト自体の治安はさほど悪い感じはしない。ギザのホテルの裏道を歩いた時、子供が寄ってきて話しかけてくる。まるで自分が子供の頃に外人を見て寄って行った感じ。
まっ、そこは外人は1人も歩いて居なかったが。
トルコは何時もの個人旅行と同じ行動が出来、自分で全てをやれたので面白かった。
空港から街に出て、最初に思ったのは此処はヨーロッパ。
トラム、バス等何の心配も無いと云うこと。但しトルコリラの精算はちょっと辛い。
帰って来てみると、もう次何処かに行きたいと思ってしまう。
又1年頑張らなければ。次回はガイド等の必要のない自分の作った旅をしよう。
次は何処の空の下に居るだろう?

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