’98年04月01日〜02日(スペイン編2)

   (色違いの文字をクリックすると写真が出ます)

明けて04月01日、8時に起きて朝食、9時にはアパートの管理をしているカルロス氏がレンタカーを持ってくるので事務所前で待つ。
暫くすると車が到着、知人と子供と私で出発、一路高速道路のような道を約129
q目指すはグラナダのアルハンブラ宮殿。
グラナダ市内へ入り、道が分からず駅で知人が道を聞きに行く。
アルハンブラは一度市街地へ出て、回り込むとの事、高速に乗り山の麓から上り上げると、道の両側に人が立っていて、この先は車が止められないから、ここに置けと寄ってくる。
そのまま上がっていくと駐車場が有った。地元の人間は、駐車料金を払いたくないので、先ほどの人間にいくらか渡して歩くようだ。
現在王宮は入場制限が有り、11時過ぎに着いた僕たちが買った券は、2時30分の指定になっていた。まず入場出来る空中庭園のヘネラリッフェ庭園を見る、丘を登っていくと、サンクロモンテの丘が見えた。
反対側にはアルハンブラ宮殿とその向こうにはグラナダの街が見える。
天気も快晴、素晴らしい景色が広がっている。
1時間ほど散策し入場口に向かった、入場口近くのベラの塔に上るとグラナダ市街(大きい建物がカテドラル)が横から下を覗くとアルバイシンが見えた。
昼食を食べるため、売店に戻る途中、大砲が置いてあった。
昼食後いよいよ時間となり宮殿の中に入った。
あの有名なライオンのパティオが有った。
当たり前の感想かもしれないが、何回も写真で見たあれが、実際に目の前にあった。
いくつもの間を通り抜けバルタルの庭園も見事なものだった。アルハンブラを後にして次の目的地、ベナルマデナ近くの、白い街ミハスに向かった。
ミハスはベナルマデナからちょっとジブラルタルよりの山の中腹、街の中心も白い建物ばかり、そこからは地中海に広がるコスタデルソルが見える。
下っていくと小さな闘牛場があったが時期的に開催はしていなかった。
又そこから下ると、小さなカンポで子供達が遊んでいた。
最近はバブル崩壊の影響で日本人観光客も減っているらしい、ロバの馬車が寂しく客待ちをしていた。
僕たちはミハスを後に、ベナルマデナに戻り、ベナルマデナの海岸に降りてみた、海岸は絶えず海水で洗われるため、砂を絶えず補給しているとのことだった。

翌日、4月2日移動日、朝タクシーにてマラガ駅に向かう、マラガの駅は小さな駅で、そこの小さなバールで朝食を食べ、ホームに行った。
ホームには8時30分発マドリード行きのタルゴ200、9119便が待っていた。
僕たちは二等車の座席に座り出発した(2等といっても日本の指定席よりずっと良い)。
途中見える景色は赤土の丘陵に、オリーブ畑が続いていた。
途中周りの人がサンドイッチを食べ始めたので、僕たちも知人に作ってもらったおにぎりを食べた(しかし、たくわんだけは出せなかった)。
マドリードには13時55分定刻に、アトーチャ駅に着いた。
パリ行きは19時00分チャマルティン発なので、荷物を預け、ピカソのゲルニカを見にソフィア王妃芸術センターへ、中に入るときは、荷物は全て預けなければならなかった。
その後プラダ美術館を駆け足で見て、地下鉄でチャマルティン駅へ移動した。
僕が持っていった路線図は古く、新しい路線が出来ていて乗り換えが2回だった。
(チャマルティン駅構内の案内板)にパリ行きのホテルトレインの時刻が出ていたが、なかなか搭乗案内が出ず、定刻の5分程前にホームへの案内が出た。
今回の旅で一番の贅沢、1等シャワー付き、朝食付き(一人約50000円)の部屋に入った(座席の前にシャワー、トイレの部屋がある)。
19時00分定刻にパリ行きFrancisco de GOYAは出発した。
19時30分に食堂車の席を予約し、食堂車で3500ペセタのコースを食べた(これは安い、オマールエビのスープ、ポーチドエッグ、ステーキ、ヨーグルト、コーヒー)。
食べ終わって部屋に戻ると、寝台がセットされていた。こうしてスペインの日々は終わった。

次回フランスパリ編に続く

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