2006年ヨルダン・UAEの旅
2006年08月08〜15日 前編

2006年08月08日遂に中東への旅が始まった。
旅行申込み時点で、中東は問題が無く、ヨルダンはペトラを目的としていた。
空港でもビザは取得可能との事だったが、日本でも取得できるというので永田町のヨルダン大使館に申請すると、翌日には郵便で送り返してくれた。発行手数料等は無しだった。
出発前からイスラエルがベイルートを空爆のニュースが流れ、どうなるかとは考えたが、外務省のHPでは注意喚起が変わらず出ていた。
当日は台風が四国に向かって進行中。
夜18時40分に羽田で航空券を貰うはずだが、心配で17時には羽田に到着した。
航空券を貰い、日航のカウンターでチェックインすると、羽田、関空、ドバイ、アンマンまでのボーディングパスを受け取った。
飛行機は関空まではJALとのコードシェアー便で、20時40分発なのだが、台風の影響で出発が遅れている、結局出発したのは21時40分頃、それから台風を避けて能登半島経由で関空に向かうので、関空着は23時30分近く成っていた。
本来は23時15分発のエミレーツ航空だったが、羽田からの飛行機待ちで、出国審査、手荷物検査をして飛行機に乗り込んだのは24時少し前だった。
何となく慌ただし出発となったが、24時過ぎにはドバイに向かって飛行機は出発した。

08月09日
飛行機は遅れを取り戻し、ドバイに5時に無事着陸した。
ここでトランジットして7時25分発のアンマン行きを待つ。エミレーツ航空は出発15分前には搭乗ゲートを閉めると言うことで、7時にはゲートに入り出発を待っていた。
定刻に出発した飛行機はアラビア海を北上し、イラク国境付近のサウジアラビアを飛んでいく。朝食が出た後、日本人CAに仕事ですか?と聞かれるが、観光ですと答えると、大変でしょうと水とナッツを渡してくれた。
ふと、現地はそんなに危ない所なのかと少し心配になった。
現地時間9時20分、遂に目的地ヨルダンはアンマン、クィーン・アリア空港に着陸した。
現地のエージェントが入国審査場の前で出迎え。入国手続きは指紋の撮影と顔の撮影が有ったが、無事にヨルダンに入国することが出来た。
入国審査場を抜け、荷物を受け取りに1階へ。此処で日本円一万円を両替すると、1JDは138円での交換だった。
荷物を受け取り、エージェントと空港の外へ出るとドライバーが待って居た。
照りつける太陽は暑いが、日陰は結構涼しいので吃驚してしまった。
空港はアンマン市内から35キロ程離れて居る。本当に廻りは砂漠だ。
車に乗り込み、本日宿泊のマリオットホテルに向かう。
途中、これからの日程の説明が有ったが、全て本当に英語での説明だった。
40分程でホテルに到着し、チェックインの手続きをすると、空港出迎えのエージェントは明日からはドライバーが全て案内しますと言って帰っていった。
ドライバーとは明日朝9時に迎えに来ると言うことで別れた。
部屋に入り、取り敢えず一休みする。
先ずはホテルから歩いて15分ほどのスーパーマーケットを目指して歩き始めた。
途中、曲がるところを間違えて考えて居ると、通りかかった青年に道を尋ねると、親切に教えてくれた。
丘を一つ越えて下って行くと、そこにはケンタッキーフライドチキンも有る、スーパーマーケットだった。
取り敢えず見学し、ホテル方向に戻り、ホテルから歩いて10分程の繁華街に出てみることにした。
車が沢山走るローターリー等は信号は無く、隙を見ては渡って行く。暫くすると道を横切ることは苦では無くなった。
陽が暮れ始め、半袖では寒いくらいの温度に成ってきた。
食事は、ドライバー、出迎えエージェントもお勧めの安食堂、アブ・タフィーク・ガイスレストランを目指す。
地球の歩き方の地図では有る筈の場所に無く、近くに居た警官に聞いてみると、道路を渡って十字路を右に行った所との事。
半信半疑で行ってみると、それらしい店が有った。
1階は自分で注文してお金を払い、物を貰って食べるタイプの店。
5階にレストランが有ると言うことで、階段を上って行くと、レストランが有った。
座ると1.5L入りの水が置かれ、メニューを持ってボーイが注文を取りに来る。
ケバブーとスープを頼むとサラダまで出てきた。窓際で暮れゆくアンマンの町並みに見とれていた。
勘定を頼むと、何を聞き違えたかお茶を持って来たが、チェックだと言うと、自分が間違えたと言いながらお茶は下げてくれた。
支払いを済まし、アンマンの繁華街を歩いてホテルに戻った。
ホテルに戻り、風呂に入り12時前には就寝した。

08月10日
朝7時起床、7時半に朝食を摂り、8時半にはチェックアウトの準備をしてロビーに下りる。
チックアウトが終了して8時45分にはドライバー・ガイドのハニが迎えに来た。
車に荷物を積み込み、一路本日の目的地ペトラへと出発した。
車は市街地を抜け、空港横を走るデザートハイウェイに乗った。
目的地まではほぼ300キロ程有るが、空港を超えた辺りから車はめっきり少なくなっていった。
途中半分ほど来たところで一旦休憩が入り、此処でトルココーヒーを貰い、ベトウィンの被るスカーフを購入した。
又1時間程走ると、車はデザートハイウェイを右に曲がり、いよいよペトラが近づいて来た。ペトラの山が見える所で記念撮影をした。
お昼前に遂にペトラに到着した。車を降り、ハニーがこれからの予定を説明してくれた。
此処でローカルガイドが付き、先ずは馬で下まで降りる、そこからガイド共に歩いてシークを通り、一番奥に有るレストランで食事をして、帰って来てくれ。との事だった。
戻って来たら電話をすると言うことで、此処で一旦ハニとは別れた。
遂にペトラ入場口に到着し、ここでチケットを見せて中に入る。
入ると直ぐに馬乗り場が有り、ここから800mを運んでくれる事に成る。

始めての乗馬だが手綱を渡され、自分で進ませる事になる。長く陽の当たる道をゆっくりと進んでいくと下りきった所で下馬する所に到着した。
ローカルガイドの助言で2JDのチップを払ったが、どうも足りないらしく、ガイドと少し言い争いをしていた。
ここからいよいよシークに入って行く、切り立った崖の間を、曲がりくねった道が続いている。

約1.5キロのシークは日陰は風が涼しくて気持ちが良く歩ける。
観光シーズンでは無いのか、思ったよりも人は少ない。
そして、ガイドが目を閉じろと言う、黙って目を閉じて良いと言うまで暫く歩いていくと、ガイドが目を開けて良いと言ったので、目を開けると、そこには写真やテレビで何度か見たことが有る、エル・ハズネと言う宝物殿が聳えて居た。
ここは崖を掘り抜いた幅30m高さ43mの紀元前1〜後2世紀のもので映画の舞台で一躍有名になった所だ。多少埋もれて居るようでエル・ハズネの前には地下が見えて居た。
暫くエル・ハズネに見入って居たが、ガイドに即され右からを回り込んで行った
そこは山の中に広く拡がる場所だった。
お土産屋の横で、ガイドが此処までが案内だと言い、ここから先スペシャルガイドをするがどうかと聞かれ、高いとは思ったが着いていくことにした。
お土産屋の横から斜面を登り、中腹の穴を抜けると真下にローマ円形劇場が見えていた。
高い位置から各墳墓も間近に見えている。



山間の広場に拡がる荒涼とした岩場のあちこちに、住居跡の穴が開いている。
そこから柱廊通りに降りて、ローマ時代の大寺院や凱旋門の有る通りを歩いて行く本日の昼食の場所に到着した。
この先もガイドするかを聞かれたが、取り敢えず後は大丈夫と言うことで、暫く話しをしていたが、ガイドは帰って行った。
昼食後、ライオン・トリクルム迄は徒歩1時間は掛かると言うことで、来た道を戻る事にした。
エルパネスから又シークをゆっくりと戻って行った。途中何回か驢馬や馬の勧誘を受けたが断り入り口迄戻って来た。
ゲートを出てガイドに電話をして迎えを待った。
日差しは強く暑いのだが、木陰は本当に涼しくて楽だった。
暫く待つとハニーが来て、車に乗り込み、本日のホテル、タイベットザマンに向かった。
ホテルは山を登った高台に有り、現地の19世紀の村を改築したホテルだった。
チェックインを済ませ、早速プールに入りに行った。
プールは小さく、地元の青年達が大騒ぎで、彼らがプールで遊びだすと、もう泳げなかった。
一度入って出ただけで空気が冷たく直ぐに部屋に戻った。
同じような建物で部屋が分からず、暫く迷路をさまよい、やっと自分の部屋に戻るがドアの鍵が特殊で戸惑った。
回せば回すほど、ロックが深くなる。しかし、どのくらい深くロックしたか回した本人分からず、ひたすら解除方向に回す。
そして、開錠できたかな、と感じた所でドンッ!とドアに体当たりして開けた。
その後夕焼けのポイントに行き、暫く陽が暮れるのを見ていた。日が落ちる頃ホテルの隣のモスクからアザーンが流れた。陽が沈む中ゆっくりと時間が流れていくのを感じた。
陽が暮れて部屋に戻り、夕食を食べに行く、ホテルの廻りは何も無いので、ホテルのビュッフェが今回の夕食だった。
食後、部屋に戻り休んだが、夜中、何だか胸騒ぎがして、外の風に当たりに行った。
(アザーンを聞きたい方はこちらのHPで聞いてみて下さい。)

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