2006年ヨルダン・UAEの旅
2006年08月08〜15日 後編

2006年08月13日

今日は、飛行場に行くだけなので6時半に起きて、朝食を食べて8時にはチェックアウトを済ませてロビーで迎えを待つ。
ドライバーが迎えに来て、そのまま空港に向かった。
9時前に空港に到着すると、空港専門のエージェントが待っていた。ドライバーにハニに宜しく伝えてくれてと頼み別れた。
エージェントの横には、昨日会った一人旅の女性が立って居た。
話しをすると、同じ旅行会社に頼んだとの事。彼女はそのままドバイから名古屋への直行便で帰るとの事だった。
エージェントの案内で荷物検査、チックインと済みボーディングパスを貰いエージェントとは別れた。出国審査も無事に済み2階の出発ゲートに進む。
免税店は見るだけで、コーヒーを飲んで時間を潰した。
時間になり出発ゲートに入り、定刻11時15分にEK316便はボーディングブリッジ離れた。
此処でドバイ時間に時計を直し、一路ドバイを目指して飛行機は飛んで行った。
15時10分無事ドバイに飛行機は到着した。
入国審査場前に、ドバイのエージェントが立っている。資料を貰い、入国審査を通過して、荷物を取りに行くと一人旅の彼女は、帰りの飛行機が夜なので、トランジットでドバイを見てくると言って離れていった。
荷物を受け取り、両替を済ませて出口に向かうと、エージェントは車が来るから此処で待てと言うが、煙草が吸いたいと私は外に出た。
外に出た途端に凄い熱気に包まれた。灰皿の横で煙草を吸っていると、一人旅の女性がタクシー乗り場に歩いて行くのが見えた。
一服し終わると、車が来て空港エージェントとは此処でお別れした。
車は直ぐにドバイ市内に向かって走り出した。近代的な街の直ぐ横が空港だった。
クリークを渡り、高層ビルの横を走り20分程で、今回のホテルに到着した。
ドライバーは此処で降ろして去って行った。
空港で貰った資料の中には、本日のホテルのバウチャーが有り、それを持ってフロントに並ぶ。
私の前の若い欧米人のグループがフロントの女性を盛んに口説いていて、なかなか番が廻って来なかった。
彼らが立ち去り、フロントにチェックインを頼むと、明日の予定を聞かれた。
明日の深夜の便で帰るのだがと説明すると、12時チェックアウトを2時に変えてくれた。お礼を言い部屋に上がった。
荷物を降ろして外を見ると、そこはアラビア湾(ペルシャ湾)が拡がって居た。
ドバイでの時間は少ないので、早速に出てみる事にする。
街側の出口の前はスケートリンクが有り、かなり室内が冷えていた。
外に出てみるとかなりの暑さで、暫くボッーとなって仕舞った。
地図を忘れて居たが、とにかく歩き出すと最初の通りはやけに車の部品屋さんが多い。その次に多いのが携帯電話屋が多かった。
右に曲がり進んでいくと、インド人街の様で廻りはインド人が多く歩いている。不思議なのが女性があまり居ない感じがした。
取り敢えず歩いて行く内に、又表の通りに出るとホテルが直ぐ近くに見えていた。

陽が暮れて来ても熱気はなかなか無くならない。街の中のレストランで食事をしてからホテルに戻った。
こうしてドバイの夜も更けて行った。

2006年08月14日

午前中はフリータイムと言うことで、この日はゆっくりと起きて朝食は9時頃に食べに降りた。
朝食後、ゴールドスークが側なので今度は迷わずにスークに向かった。
15分程歩いた所にゴールドスークが有った。暫く冷やかして見ていた。
帰り際、スークの入り口に人集りが有り、その中に一際背の高い男性が立って居た。
何かのテレビに出ていたような気がするが誰だか思い出せなかった。
何となく街を歩き、ホテルに戻ると12時前で一旦部屋に戻り荷物の整理をしてお風呂に入った。
2時前にチェックアウトを済ませ、荷物を預けてホテル内の日本食のお店でトンカツを食べる。
その後ロビーでコーヒーを飲むが、ロビーには白いガラベーヤを着たアラブ人が、何をするわけでもなく座って居る。見ていると何人か集まっては飲み物を頼んで話し込んで居る。
3時になり、本日のデザートツアーの迎えがやってきた。
4駆に乗り込むと先客が居る。ドライバーの話を聞くとスタッフらしい。
そのまま車は郊外に向かって走り出した。
途中、ペトロールスタンドに寄ると、ドライバーはタイヤの空気を抜きだした。これから走る砂漠のための準備だ。
ペトロールスタンドには同じマークの4駆が集まって来た。此処で隊列を整えて砂漠に入るらしい。
いよいよ出発となり、暫く走ると車は道路を外れ、砂漠の中に入って行った。
ここからは砂丘越え等が始まる。この時同乗のスタッフが写真とビデオを撮りだした。
その為、車は先頭で走り、撮影ポイントで止まる。砂丘の上り下りは大変楽しい物だった。
暫く走ると砂丘の下で一休みとなり、此処で飲み物のサービスが有った。やはり中には上下動に耐えられない人も居た。
私も砂丘の上まで行ってみた。辺りは本当に一面の砂漠だった。
そこから又車は砂丘を越えて道路の脇を走って行く。道路の下を潜り反対側に出ると、そこには駱駝レースのトラックが有った。周囲は1キロ以上有るらしい。
今はシーズンでは無く、練習で走っているとの事だった。
トラックの先には駱駝の飼育場所が有った。車を降りるとかなり匂いがするが、暫くすると慣れて仕舞った。
駱駝は繋がれていてとても温和しい。近づいても動く気配も無い。
陽が暮れかけているが空がドンヨリとしていて今ひとつ綺麗に見えない。
又車に乗り、最後のキャンプに向かって一走りしていった。
キャンプ場は窪地の中に有り、車を降りた所には駱駝が居る。無料で乗れるのだが、数十メートル往復で終了だった。
キャンプ地の斜面には砂滑りも有った。キャンプ場では染料で腕に絵を描いてくれる所、水パイプを吸わせてくれる所などが有った。水パイプは人数も居るので、ほんの一服分しか無かった。
テーブルに着き、今夜の夕食のバーベキューの出来るのを待つ。その間に外はすっかり暗くなっていた。
夕食が終わると真ん中のステージでベリーダンスのショーが始まった。最後は全員が踊りの輪に加わった。
こうして今回のオプショナルツアーは終了しドバイに戻るのだが、キャンプ地から直ぐに道路に出て30分程でホテルに戻って来た。
9時を過ぎて居たが、飛行機は深夜で、ピックアップが来るのは0時近く。又コーヒーを飲んで最後の時間を潰して居た。
0時前にピックアップを受け、空港に向かう。空港までは20分程で到着した。
ここでドバイとはお別れになるが、空港内に入りカウンターに並ぶと、職員が本日の飛行機は遅れると言って居る。
ボーディングパスを受取り出国審査をすませ。ターミナルに入るが、2時50分発のEK316便はパネルにディレイが表示されて居るばかりだった。
結局、搭乗ゲートが変わり、搭乗案内が有ったのは朝5時過ぎだった。
飛行機はほぼ満席で、疲れていた私は直ぐに眠り込んで仕舞った。
結局飛行機は予定より2時間遅れで、19時30分に関空に到着した。
エミレーツ航空の日本人CA達が居たので、遅れの原因を聞くと、本来飛ぶはずの機材が故障し、日本から来た飛行機を待っての出発に成ったとの事だった。
私は東京から帰らなければ成らないが?と聞いたが、東京までの飛行機は手配しますが…で終わった。
本来は17時40分の飛行機で羽田に戻るはずが、その日の最終便に廻され、出発は22時10分、羽田到着は23時を過ぎて居た。
モノレールに乗り、浜松町に降りたときは0時を過ぎていた。
結局、東京に1泊し翌日8月16日に帰宅することが出来た。

今回の旅行は、ベイルート爆撃前に申し込んでいて、出発直前位から紛争が始まり、どうなるかは心配したが無事に旅行を終える事が出来た。
旧、新約聖書、そしてその後のイスラム教の勃興と多くの歴史を刻んで来た中東に興味が有り、実際に行ってみると、アンマンではごく普通に生活をしている。
そして、観光ズレしていないのか、人々は本当に静かに処遇してくれる。
ちょうど行ったときBBC等では、イギリスの騒ぎを放送していた。しかし、そんな影響も無く、本当に楽しく観光する事が出来た。
非常に複雑な政治情勢等が有るとは思うが、そこに住む一般の人々は心優しい人達だった。結局、何処に行っても良い人も、悪い人も居るのが事実だろう。
只、貧富の差は本当に凄い物が有るのかも知れない。
荒涼とした砂漠地帯を見ていると、生きていく事の難しさも感じた。
私と同じ人間が中東でも生活していて、全ては大きな力により影響を受けている。
もっと個人が見える情報を世界は発信しなければいけないと思う。
ドバイは人口の70%が出稼ぎの人達らしい。果たして自分の見た物だけで判断して良いのかは分からないが、もっと、いろいろな物、人を見てみたい。
普通に話せれば、皆、同じ人間なのだ。中東に早く真の平和が訪れる事を望みたい。
何時かはエルサレムにも気軽に行ける日が来ると良いと思います。
最後にベトウィンには中東の国境は無い気がします。欧米が引いた国境線が直線なのが人々を分けて仕舞ったのだろうか?大国に踊らされる日本は…
マスコミも政府報道だけでなく、自分達の取材を流して欲しい。グローバルスターンダードは金持ちのためでは無く、真の人間社会の構築を目指して欲しい。

さて次は何処に行こうかな??

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